2016年03月25日

【160221】この1週間、私としては異常な頻度で出歩き面会している。

この1週間、私としては異常な頻度で出歩き面会している。
先週木曜日は幼稚園のパパ友宅で、家族ぐるみの餃子パーティ。
翌金曜日夕刻、近所に住む旧友が仕事場を訪ねてきて懇談。
土曜日には、御山人師との「百社巡礼」収録とUst放送。
月曜日はいきなり召集され、ラジオ仲間と新宿で面会。
水曜日は税理士と打ち合わせで都心へ。戻ってからそのまま京都別荘へ行き、昨日帰京。
そして今日、司馬遼太郎「菜の花忌」参加で日比谷公会堂へ。
「面会しない出歩かない」と宣言しておきながら、この体たらくだ。
だが、日常が破綻していないのは二日酔いがないおかげだ。
以前のように飲んでいたら、この間、3度か4度二日酔いを発して、みるも無惨な様相を呈していたことだろう。
二日酔いになりやくすなったのは30代に入ってからだ。そしてそれは歳とともにひどくなっていった。
こういう変化は漸進するので、無自覚なまま進行してしまう。
肥満、怠惰、感情制御、遊び癖、浪費癖。これらも同様だ。気づいたら元いた浜辺からだいぶ漂流しているものである。
「漂流」度合いをときどき測定できたらいいなと思う。どれだけ劣化したか客観的に測定し、本来あるべきところに戻してくれる。そんなコーチングなんてあったら繁盛するんじゃないかな。
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【160220】坂本龍馬は手帳にこう書き記し、日夜自分を奮い立たせた。

坂本龍馬は手帳にこう書き記し、日夜自分を奮い立たせた。
「薄情の道、不人情の道、わするることなかれ」
「衆人みな善をなさば我れ独り悪を為せ。天下のこ とみなしかり」
えっ、あの龍馬がなぜ?ーーと思われることだろう。
心優しい竜馬は非情になれない。大事を成すには非情さが必要とされる場面は多々ある。
そんな現実に対処するために、つねに自分を戒めていたのである。
一方、私は非情なので、それが言動に出ないよう、このスマホに自分に向けた警句をいくつも書き記し、目にするようにしている。
そういうかたちで自戒しなければ、つい地金が出てしまうからである。
やさしい男は非情であろうと心がけ、非情な男はやさしくあろうと心がける。
こうしてバランスを常日頃とろうとしなければ、持ち前の気質が暴走してしまう。
やさしい男はいよいよヘタレになり、きつい男はいっそう嫌なやつになってしまう。
素のままの自分を放置すれば、野生化してしまう。対極を示すことで、おのれもアウフヘーベンできるのである。
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【160219】若いころは自信がなかったから、やたら手を広げた。

若いころは自信がなかったから、やたら手を広げた。
株式会社2つ、NPO2つ、政治団体2つ、一般社団法人1つ。これだけの法人を清算してきた。
根拠のない自信はときとしてエネルギーになるが、一方で数々の屍を生みだす。
当時、GEの社長(ジャック・ウェルチだったかな?)の言葉として「選択と集中」が喧伝された。
優位性の高い分野に、資本を集中投下せよということだが、私は怖くてできなかった。
リスクを軽減しようと、手を広げた。一つの事業がこけても、他が補ってくれる。そんな皮算用はそれなりに実効性があった。
だが、そんな人生を継続して、「領土」を徐々に増やしたところで何の意味があるのか。最近そんなことを思う。
愚かな乾坤一擲の勝負はしてきたが、おのれの才覚を世に問うという切ない営みで我が身を燃焼してみたい。どこまでできるか挑んでみたい。
さんざん損得勘定して、これまでの人生を編集してきた。そんな「出来合い」の日常に風穴を開けたい。そんなことを思うのは、年齢のせいだろうか。
死生観とは、残り時間を意識することで得られるのだろう。永遠に「いま」が継続すると思っていたら、行動は変わらない。
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【160218】夏目漱石は「京都は陰気で嫌いだ」といった。

夏目漱石は「京都は陰気で嫌いだ」といった。たしかに、むかしの写真をみると「陰気」だ。もっとも、その「陰気」が京都の風格であることを漱石は踏まえていることはいうまでもない。
いまの京都はすっかり「陰気」を失った。夜放り出されたら、弘前や松山と区別がつかないだろう。
たしかに随所に京都の痕跡はあるが、総体としての京都はもはや失われたのではないか。
かろうじて「京都」が残っているのは、洛北の岩倉あたりだ。かの地の民家はいまのうちにみておいたほうがいい。三十三間堂は300年後もあるだろうが、岩倉の京民家は確実になくなっているからだ。
先に「夜放り出されたら」と書いたのは、昼間なら比叡山がみえるからである。京都は比叡山との関係でとらえるべきだと私は考える。
政治都市に威圧を加える宗教勢力。この緊張感が王城の歴史を築いてきたからだ。
だから、京都に降り立ったら、まずは御所におもむき、まず比叡山を視認するのがいい。
ピンポイントで寺社仏閣をみても意味がない。それでは、歴史博物館で土器の破片を眺めるようなものだ。
わずかな期間であったが、京都住まいのいちばん収穫はこの一点に尽きる。そう、京都の緊張感の在りかだ。
このたび京都宅は貸し出すことにしたが、いずれまた戻ってきたい。
街角にはもはや見るべきものは失われたが「陰気」は感じるものだ。「陰気」に反応できる心身を維持したい。
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【160217】子供はご近所さんというだけで友達になれる。だが、長じるにつれ、そうもいかなくなる。

子供はご近所さんというだけで友達になれる。だが、長じるにつれ、そうもいかなくなる。
小学校高学年にもなると、趣味や指向性が合わなければ友達づきあいはできなくなるものだ。
それが自我の形成であり、自分の居場所を的確に見つけられることは、人間としての「発達」の証といえる。
とはいえ、ある程度誰とでもつきあえる能力は同時に身につけなければならない。
村上春樹も、二十代で店をやっていて、そこで人づきあいの量稽古を行った上で、「もうあれで十分でしょう」と回想している。
私も同じ心境だ。もはや十分鍛錬した。今後は、無理して人づきあいしない。ウマの合う人とだけささやかに交友していきたい。
どんな人とウマが合うのかはわかっている。それは「生産者」である。ともに創造することを分かち合える関係でなければ関係がもたない。
対極は「消費者」といえよう。飲み食い、旅、スポーツ。こういうものの消費をともに楽しむ。そんなつきあいは願い下げだ。これらは、子供とだけにする。
いずれ「一周」して、またいろんな人と交流したくなるときも来るかもしれない。そのときはそのとき。
当面は家族とごく少数の「生産者」との人間関係にとどめておきたいと考えている。
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【160216】京都別荘の借り手が決まった。

京都別荘の借り手が決まった。
気に入っていたので、貸すのを渋ってきたが、欲張っているとろくなことにならない。
執着を手放すことで、運気は入ってくるものだ。ツキを呼び込むために先に手放すことは、人生達者の間ではよく行われる。
執着とは、もはや「あるべきではない」にもかかわらず、強引に成立させている状態をさす。
30歳過ぎの息子の世話をする母親などその最たるものといえよう。
そんな無理な力を割いていると、本分に集中できなくなる。行動力も翳るからツキも落ちる。
運気を高めたいのであれば、この逆を張ればいい。
積極的に「本来の状態」にしていくのである。自然秩序へ貢献したぶん、そこから恩恵を受けることができるからだ。
たしかに、若いころは執着が原動力になる。どうしても欲しい、どうしても手放したくない。そんな我がままに神が微笑むこともある。
だが、それもせいぜい35歳までだ。それ以降は、握り締めれば握り締めるほど、天は情け容赦なく引き離してゆく。だったら、先手を打って捨てることだ。
その点、別荘を手放したのはやや遅きに失したと反省している。もう2年早くてもよかった。
かくも執着というものは、船底の牡蠣殻のようにへばりついて、動きを鈍らせる。日頃から、おのれを監視し、付着に目を光らせるほかない。
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【160215】狐でも憑いたのか、あぶらげばかり食っている。

狐でも憑いたのか、あぶらげばかり食っている。
高尾山麓には「するさしの豆腐」という店がある。
旧道をしばらく入り込まなければならないので、なかなか出向くことはないのだが、梅をみるついでに今日行ってきた。
あぶらげ2枚とおぼろ豆腐、そしておからドーナツ。
あぶらげは鍋にもいい。最近鶏肉のかわりにあぶらげをよく入れる。
炙って、ネギやら生姜やらといっしょに食ってもうまいし、生のままでも風味がいい。
主食にもなるしおやつにもなる。こんな重宝なものだったとは思わなかった。
司馬遼太郎先生もトンビもキツネも好きなあぶらげ。餅とともに多機能多用途の優れものである。
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【160214】旧友が転職を考えている。このままでは泥舟なので、脱出しなければならないという。

旧友が転職を考えている。このままでは泥舟なので、脱出しなければならないという。
気持ちはわかるが、我々は五十手前の中年男である。軽挙は禁物だ。
私は決断にあたって2つの視座を示した。
1 その選択は「ダンディ」か?
勤務先が先々やばそうだから、次を見つけてから辞める。これでは学生と変わらない。
生活のためには収入は必要であるが、それ以上にだいじなことは、息子によき背中をみせることだ。
目先の損得で行動して、多少得したころで、その行動が息子に悪影響を与えてしまっては元も子もない。
2 その選択は「捨て身」か?
働き盛りは過ぎた。やり甲斐や収入などを求めることは、もはや「すけべ心」だと心得るべきだろう。
私はいざともなれば明光義塾(なんでもいいのだが)に雇ってもらい、大学生とともに塾講師をやろうと決めている。
明光義塾が雇ってくれなければ、清掃夫だろうと期間工だろうとやる。
そんな気魄あふれる勇姿こそ、子供たちにとっての何よりの励みになるはずだ。
小金に任せて飲み食いに興じている父親の姿をみて、子供は奮い起つだろうか。いつの日か決定的に軽蔑されるか、子供が同じ道を歩んで自滅するかのどちらかである。
武士は食わねど高楊枝。
友よ、苦しいときこそダンディに生きようぜ。
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【160213】緑内障の目薬には副作用があった。

緑内障の目薬には副作用があった。このことを点眼し始めて2年経った今日になってはじめて知った。
ちなみに副作用とは、まつ毛が長くなることと目にクマができるということの2点である。
こんな育毛効果(?)があるので、点眼は洗顔が必要だったのである。これを知らずにいたので、もともと長いまつ毛が最近メガネに触れるほど長くなったり、目の周りが黒ずんできたのは加齢現象だと思っていた。
この知識は薬剤師から得た。
医薬分離政策以降、何かと薬剤師がしゃしゃり出て、めんどうばかり増えて鬱陶しく思っていた。
だから、無愛想にしてきたのだが、心を入れ替え「感じのいい人」を心がけることにした。
すると話がはずむもので、上記の通りの知見を得ることができた。
鏡をみれば、目の周りが黒ずみ、眉やまつ毛が長い四十半ばのじじいがいる。
昼間サンダル履きでうろついているだけで、周囲の人びとに緊張をもたらしてしまう存在になり果てた。そんな自覚は中年男に求められる、一種の公共心というべきだろう。
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【160212】「運」に関する本を2冊読んだ。結論からいえば「強運とは、狂人の行動力の賜物」であるということになる。

「運」に関する本を2冊読んだ。結論からいえば「強運とは、狂人の行動力の賜物」であるということになる。
私は幸福度でいえば「まあまあ」であるが「強運」であると自覚している。こういう感覚は主観でいい。
パラノイア気質の私はとても思い込みが強い。だから、よく失敗もするし顰蹙も買うのだが、すべて都合よく解釈するので、ちっとも悔やむことはない(反省や懺悔はするが)。
こういう馬鹿者は恐れを知らないので行動力がある。犬も歩けば棒に当たる。あれこれやっているうちに時々、大当たりをひく。
一度大当たりを引き当てると、人生は大きく地殻変動を起こす。私の場合は3度であるが、それが多くなればなるほど、いわゆる「成功者」というものになるのだろう。
行動力といっても、パワースポットに行ったり、石を腕に巻いたりしても意味がない。目的に直結する行動でなければならないからだ。
ビジネスでも、芸術活動でも、婚活でも、何度も何度も執拗に挑み続ける。その執念深さが「強運」をもたらすのである。
かの織田信長にしても常勝将軍ではなかった。何度も敗退を繰り返しながら、手を替え品を替え挑み続けた執拗さの集積が「勝ち星」を積み上げさせたのである。
それは、常識人にはとうてい実行できないような狂気の行動力といえる。
そうみると、運というものは、成熟しきれない者どもに与えられた魔法であるといえる。
私のようなガキにはそんな魔法でもないかぎり、生き延びてゆけない。天はうまくバランスをとってくださるものだ。
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【160211】モタモタしてしたら、包囲網が狭まってきた。

モタモタしてしたら、包囲網が狭まってきた。
生業で大きな案件が発生し、それなりの対応をしなければならなくなった。
私の任務だから否応もないし、久々の活躍の場なので奮い起っている。
こういうとき、機運というものを実感する。
1月15日から出版に向けて動くと宣言しながらろくに動かなかった。
「芸術作品なのだから」と嘯き、日々原稿に淫していたら、ほどなくして体調不良に見舞われた。そして今回の一件である。
「天」が私の動きを監視しているとしか思えない。あのとき行動していれば、風邪もひかなかっただろうし、今回の一件もなかったのではないか。
タイミングを逃したといっていい。人生の機会をだいじに使っていないと、しばしばこういう目に遭うものだ。
「あまりにもスピリチュアル解釈に過ぎる」という誹りもあろう。だが学生時代以来、人生の大半を自営業者として生きていると、運気の存在は肌身で知っている。
だが、こういうときこそ、災い転じて福となす。生業もこれを機にテコ入れできるし、出版についても着実に前進させようという気構えができた。
この機会を、天賦の好機にできるか、失調の始まりにするかは、これからの取り組み方しだいだ。
緊張感を取り戻したおかげで、すっかり体調は回復した。今日からジョギングを再開した。その前に仕事場を掃除した。
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【160210】「大学客員教授」という肩書きは、大名家で剣術指南する兵法者のようで私は気に入っていた。

「大学客員教授」という肩書きは、大名家で剣術指南する兵法者のようで私は気に入っていた。
だが御役御免となり、ふたたび浪人の境遇に戻ることになった。
浪人とはいうが、会社経営者や医療法人理事という肩書きはある。
だが、そんな生業は、どこか内職的な位置づけで、それを名乗るのはどこか気恥ずかしいものがある。
それならむしろ浪人と名乗ったほうが気分が盛り上がる。
学生相手の渾身講義はじつに張り合いがあった。学生の評判も上々で、これこそ天職なのだろうと思った。2年前に終えたラジオもそうだった。私はこの2年で、立て続けに活躍の場を失ったのである。
だが、これでいい。ここまで追い込まれれば、ふたたび世に出ようという気持ちが俄然高まるからだ。
それから、またラジオでも大学の講座でも再開すればいい。
指示されても自ら計画しても、なかなか思うようには動けないのが中年男だ。
こうして外的に追い込まれることは、願ってもない行動機会になる。天に感謝すべきであろう。
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【160209】3年前の健康診断で「脂肪肝」と「緑内障疑い」が指摘された。

3年前の健康診断で「脂肪肝」と「緑内障疑い」が指摘された。
4月に健診を受けるが、脂肪肝は完治したのではないかと思う。一方の緑内障はそれ以来、点眼治療を続けている。過日検査を受けたが、視野欠損は進行していないようで安心した。
高い眼圧が視神経を圧迫することが緑内障の原因であり、もっとも眼圧を高めるのがいわゆるブルーライトというやつだ。
四六時中、液晶画面をみて過ごす人も少なくない。私などそれに近い。
だが、ひとたび緑内障になってみると、視力というものも消耗品であることがよくわかった。
脂肪肝も緑内障も私ならではの生活習慣病だ。そのおかげで、酒や不毛視聴をやめることができた。
これを思えば、病気は、生活の贅肉を削ぎ落とし、本分に注力される効果を持つことになる。
「受領は転んだ所に土を掴む」という。何事からも貪欲に掴み取っていけば、加齢も悪くはないどころか味わい深いものになるだろう。
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【160208】私ほどウガイ手洗いを励行している男はいまい。

私ほどウガイ手洗いを励行している男はいまい。また出歩かないから、感染機会も少ないはずだ。睡眠、食事、運動も申し分ない。ストレスも適度かと。
ところが、この2ヶ月で3度も風邪をひいた。これは不運というよりも、免疫力が下がったことによるのだろう。四十の坂を越えると、身体は劣化するものらしい。
こういう場合、免疫力を高めるために自己改造するべきか、それとも身体の変化に身を任せながら環境を整えるべきか迷う。
そんな矢先の清原事件である。
関連報道の一つに、40〜50代の薬物利用が急増していて、その理由として「バブル入社組」の悲哀が語られているものがあった。
「24時間戦えますか」などと煽られて戦ってきたが、歳には勝てない。覚醒剤でもやらねば、往年のパワーは取り戻せないというのだ(いささか荒っぽい論理展開ではあるが)。
覚醒剤はともかく、エナジードリンクやバイアグラに頼るのも同じ発想だろう。だが「ドーピング」はどこかへ皺寄せをもたらす。
「若さ」を無理やり維持しようとするより「円熟」を味わう。こんな発想の切り替えが必要なのが、この時期なのであろう。
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【160207】「つきあう友達を選びなさい」という助言ほど無味乾燥なものもあるまい。

「つきあう友達を選びなさい」という助言ほど無味乾燥なものもあるまい。
1 どういう友達を選べばいいのか?
2 どこにいるのか?
3 どうやったら友達になれるのか?
こんなことは、子供にはわからない。結局、いっている親が友達を選ぶことでしか範を示すことはできない。
では我々親は、友達を選べているのか。これについても定見を持っていて、かつ実行できている者はどれだけいるでかあやしいものだ。
よく「金持ちになりたかったら、金持ちの友達を作りなさい」といわれる。
では、金持ちと友達になるためには、どうしたらいいのか。
ラグジュアリーなパーティーに顔を出す?
そんなところに顔を出しているのは、瞬間風速で小金を持っているか、カツカツの金持ち願望者が乾坤一擲の勝負を賭けているかのどちらかだ。
私はそうした実体のない「金持ち」をけっこうみてきたので、事情はよく知っている。
こんな面々と豪気につきあっていたら、いっしょに泥舟に乗ることになるだけだ。
結局、友達などというものは、なぜかわからないけどウマが合う者同士の共鳴関係でしかない。
類は友を呼ぶ。ある「生態系」には、驚くほど独身者が多かったり、犯罪者が多かったり、努力家が多かったりする。四民平等とはいえ、じっさいには、我々は棲み分けている。
結局、自分が長年親しんできた「生態系」でしか生きられない。友達は選べないのである。
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【160206】次郎冠者が20キロのダイエットに成功した。

次郎冠者が20キロのダイエットに成功した。3ヶ月で2リットルペットボトルを10本(1箱!)削ぎ落としたことになる。
この間、毎日フェイスブックにて私宛ての書簡を公開し、日々の状況を衆人環視の元に置いた。
当初は、私もあれこれと助言していたが、近ごろはみてもいない。なぜなら、すっかりペースにのったからである。
この間、次郎冠者とは何度か面会した。毎回驚かされるのは、目に輝きが宿り、全身からはエネルギーがほとばしっていることだ。
ダイエットとは、贅肉を除去するという以上の意味を持つことを、次郎冠者自身深く認識したようだ。
かくして次郎冠者は生まれ変わった。
こういうとき綺麗事屋は、「リバウンドがどうの」とか言ってくるものだが、そんなものは軽くあしらってしまえ。またデブったら、また取り組めばいい。
だいじなことは、痩せ体型を維持することではなく、おのれを自在に操縦できるという自信を持つことだ。
次郎冠者、祝着至極。
これをもって「師範代」とする。
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【160205】我が家を風邪が席巻している。

我が家を風邪が席巻している。隣家の妹の息子を皮切りに妹夫婦、私、爺、坊や、家内、娘へと蔓延中である。
嘔吐して坊やはショックを受けた。4歳児は「死んでしまうのではないか」くらいに思うものだ。
婆が健在なのと、私と親父が回復してきたので看護体制は万全だが、坊やのメンタルのケアはやはり私の役割だ。
いま坊やが置かれている状況と今後の見通しについて本気でレクチャーをしたら、安心した様子だった。だんだん復調してきて、いま私の部屋で寝息を立てている。
かつての父親は「食わせる」ことが責務とされた。昔はそれだけでもたいへんなことだった。
だが今や「食わせる」ことはそんなにたいへんではなくなった。贅沢を言わなければ、食い物は世の中に有り余っているし、仕事だって贅沢を言わなければいくらでもある。
だから、親父たちは食わせているくらいでいい気になってはいけない。
これからの親父は、家族の「心身の健康」、さらには家族一人ひとりの「品性」も責任領域となるだろう。
時代が変われば、常識も変わる。古い時代の価値観にとらわれていれば、家族を喪失することになる。
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【160204】「結婚生活は長期戦。喜ぶことをするより、嫌なことをしないこと。嫌なことをしないのが愛。」これは、中谷彰宏さんの言葉だ。

「結婚生活は長期戦。喜ぶことをするより、嫌なことをしないこと。嫌なことをしないのが愛。」
これは、中谷彰宏さんの言葉だ。
「恋」は喜ぶことをしあうことで成り立つ。だが、「愛」はそうではない。
いくら喜ぶことを積み上げても、嫌なこと一発で帳消しになってしまう。結婚生活とは、そんな無慈悲な減点法のゲームであるというのだ。
目からウロコが落ちた。
これまで私は「嫌なことをする」と「喜ぶことをする」は帳簿の貸方借り方のように均衡するものだと思っていた。
嫌なことをしてしまっても、フォローすればいいと思っていたのは甘かったといわざるをえない。子孫のため、この機会に修正したい。
この考え方は、仕事に置き換えればよくわかる。信用とは、デタラメ一つで崩壊する。
これくらいの用心深さが家庭生活にも必要だったのである。
久々に、痛烈に耳の痛い話を聴けてとてもイタ気持ちいい。大いに発奮した。
posted by 雄峰 at 11:15| 落人日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

【160203】1週間ぶりのジョギングの後、恐るおそる計量してみたら、ちっとも増えていなかった(どころか若干痩せた)。

1週間ぶりのジョギングの後、恐るおそる計量してみたら、ちっとも増えていなかった(どころか若干痩せた)。
これまではすこしでもジョギングを休むと即肥えたのに、これはいかに?
どうやら「ヤツ」が降伏したらしい。ヤツとは、私に歯向かってくる身中の「野性」だ。ダイエットとはヤツとの闘いであるといっていい。
ヤツが抗戦を続けているうちは、油断するとすぐに勢力を盛り返してきて、いわゆる「リバウンド」をひきおこす。
だが、ようやくヤツは現在の体重を「国境線」とすることを認めたらしい。
これでようやく、ダイエット戦線を平定した。
先に飲酒戦線、社交戦線、出歩き戦線を制した。そして今回のダイエット戦線平定。残すところは、いよいよ早起き戦線と愛妻?戦線の2方面だ。今後はこれらを平定して、身中統一を実現する。
「敷居を跨げば七人の敵あり」というが、成熟社会においてこの言葉は、いくらかナンセンスに響く。
むしろ、おのれの中に「七人の敵」があるとみるべきではないか。
我が身を狂わせるさまざまな悪癖どもを鎮圧すれば、外の敵なんていつのまにか消えてなくなっているはずだ。
陽明学のいう「山中の敵より心中の敵」を撃破することが、中年男の人生戦略できわめて重要なのである。
posted by 雄峰 at 11:14| 落人日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

【160202】久しぶりにCD(ダウンロードでなく)を買った。

久しぶりにCD(ダウンロードでなく)を買った。
Stingの「If On A Winter's Night…」というアルバムだ。コンセプトどおり、冬の夜なべに重宝している。
2009年のリリースなのだが知らなかった。ちょうど離婚やら事業失敗などが重なり、都落ちした時期だったからだろう。
スティングはポリスの「シンクロニシティー」以来よく聴いてきた。
ソロになって、いきなりジャズの大物たちを起用したアルバムを出したときはとても驚いた。
当時、スティングは熱帯雨林保全などの社会問題にもメッセージを発していて、若かりし日の私は胸を熱くしたものだ。
同じころ、スティングはインタビューで、ラブソングについて批判的、というより侮蔑的な発言をしていた。彼が30代半ばだったころだ。
その後の彼はラブソングを書くようになった。その「変節」に当初戸惑ったが、家族を持ってみて、それが「変節」ではなく「成熟」なのだと知った。
その後のインタビューで、スティングは「いずれはクラシックをやっているかもしれないね。でも、スティングの交響曲云々ではちょっと軽すぎないかい…」と苦笑していた。
今回その後の活動を調べてみると、クラシックを手がけたアルバムを出したり、オーケストラを従えてコンサートを行ったりしていることがわかった。
そのぶん、ビルボードなどの商業チャートには縁遠くなった。だが、そんなことは折り込み済みであろう。
むしろ、それまでの「世界」からの離脱であり、新しい「世界」への跳躍を成功させたといえよう。
スティングは、私と同じ10月2日生まれ。18歳上だから、いま64歳。
年齢とともに円熟味を増すとはこういうことをいうのか。スティングの人生には強い戦略性を感じる。芸術家として生き残るためには、作品にだけ精魂傾けていればいいものではないらしい。
posted by 雄峰 at 11:13| 落人日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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