2016年03月25日

【160325】「選挙にカネがかかる」とはよく言われるが、どこにどんなふうにカネが流れているのかーー100人中99人、いやそれより多くの人は知らないはずだ(市の総務部長も知らなかったのには驚いたが)。

「選挙にカネがかかる」とはよく言われるが、どこにどんなふうにカネが流れているのかーー100人中99人、いやそれより多くの人は知らないはずだ(市の総務部長も知らなかったのには驚いたが)。
ここでばらすのは控えるが、それを知ったとき、日本社会の「地に足のついた精神性」を発見できて嬉しく思った。
もう一つ感動したのが「政治部記者魂」である。
私はドクター中松氏や羽柴誠三秀吉氏などに連なる独立系泡沫候補であったが、どういうわけか左翼陣営と目されていた。
NPO代表という肩書きがそんな風聞を招いたのかもしれない(その一方で、著書『北方四島の記憶』を持ち出して「右翼の青年」とよばれたこともある)。
そんな謎の男に、NHKの政治部記者がコンタクトしてきた。
「私のような者に関わっても意味がありませんよ」と告げたが、何やら熱心である。
会ってみたが話が噛み合わない。彼はいったい何を目論んでいるのか?
しばらく経ってから、ようやく合点がいった。彼は「キングメーカー」になろうとしていたのである。
田舎の県議選で「キング」とは笑止千万であるが、要はメディアの力を使って私を当選させようということらしい。
「メディアが政治を左右しようとはけしからん」などとチンケなことを言うつもりはない。古来、メディアというものは政治を左右するものだからだ。
それを目の当たりにできたのは感動的だった。
政治を批判するのはたやすい。だが、やめておくほうがダンディだ。なぜなら、メディアに切り取られた政治情報なんて一場のネタでしかないからだ。いい大人が、キッザニアでビジネスを語るようなものだ。
もっと悪態をつけば、政治を語ることは霊感を語るようなものでもある。「みえている」のは当人だけだからである。
政治と宗教について紳士が語らないのは、馬脚をあらわしやすいからではないか。
政治の現実を知る者は口をつぐみ、宗教の現実を知る信仰者は無言で拝み祈る。
政治談議とは結局、酔っ払いおやじがガード下で語る与太話でしかないのである。
posted by 雄峰 at 12:06| 落人日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
×

この広告は180日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。