2016年03月25日

【160321】一昨年、初めて銀行から融資を受けた。建物の建築費が足りなかったのである。

一昨年、初めて銀行から融資を受けた。建物の建築費が足りなかったのである。
担当者とは数年のつきあいで、足繁く通ってくるので折々金融商品などを買っていた。投資には興味がない。あくまでもつきあいとしてだ。
「融資の御用命はありませんか?」と聞かれるたびに、「ないなあ」と答えてきたが、事情が変わって借りることにした。
いざそうなると、担当者の雰囲気がちょっと変わり、じっさい融資が決まると「債権者」に変わり身を遂げた。
狭量な私はこういうのにやかましい。ちょっとしたすれ違いがあったとき、「マンション売って、さっさと返済するかなあ」とぼやいた。その途端、彼は態度を豹変させ、もとの揉み手に戻った。
駆け引きほど心身を消耗させるものはない。夫婦間でも仕事の取り引きでも駆け引きのないに越したことはない。
値引き交渉なども不毛だ。身辺からの「交渉」排除は、ストレス対策の根幹であろう。
ーーと書いていたら、高校時代の友人からメールをもらった。
彼は別のメガバンクのエリート行員で、昨日の「不快銀行」の記事を気遣ってくれるような紳士だ。
Aくん、ごめん。今日も銀行ネタだわ。m(_ _)m
で、さらに続ける。
何度もいうが、私は銀行やマスコミを総体として批判しているわけではない。どんな世界にも、紳士もいればゲスもいる。
私は、戦後日本において、いよいよダンディズムが喪失してしまったことを嘆いているのである。
私はそのなかでも、もっともダンディズムに欠ける品性下劣な部類だと思う。
こんな功利主義者ばかりになってしまっては社会は立ち行かない。
いま懸命に公の一部としての自己を確立しようとしているが、一生かかっても、「人間の芸術作品」と司馬遼太郎が絶賛したような域には達することはできないだろう。
日本の強みは、武士道由来のダンディズムに他ならない。
ダンディズムの回復が国の根幹を強化してくれる。いくら経済政策やら何をいくらやっても無駄である。そこに生きる人びとの精神が問われているからだ。
みっともないことをやらないで、立派なことをやる。
こんな当たり前のことが「異常」とされるのが、異常消費社会に他ならない。
自分にみる日本人の劣化ーーそれが私の日々の憂悶なのである。
posted by 雄峰 at 12:01| 落人日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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