2016年03月25日

【160219】若いころは自信がなかったから、やたら手を広げた。

若いころは自信がなかったから、やたら手を広げた。
株式会社2つ、NPO2つ、政治団体2つ、一般社団法人1つ。これだけの法人を清算してきた。
根拠のない自信はときとしてエネルギーになるが、一方で数々の屍を生みだす。
当時、GEの社長(ジャック・ウェルチだったかな?)の言葉として「選択と集中」が喧伝された。
優位性の高い分野に、資本を集中投下せよということだが、私は怖くてできなかった。
リスクを軽減しようと、手を広げた。一つの事業がこけても、他が補ってくれる。そんな皮算用はそれなりに実効性があった。
だが、そんな人生を継続して、「領土」を徐々に増やしたところで何の意味があるのか。最近そんなことを思う。
愚かな乾坤一擲の勝負はしてきたが、おのれの才覚を世に問うという切ない営みで我が身を燃焼してみたい。どこまでできるか挑んでみたい。
さんざん損得勘定して、これまでの人生を編集してきた。そんな「出来合い」の日常に風穴を開けたい。そんなことを思うのは、年齢のせいだろうか。
死生観とは、残り時間を意識することで得られるのだろう。永遠に「いま」が継続すると思っていたら、行動は変わらない。


posted by 雄峰 at 11:30| 落人日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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