2016年03月25日

【160218】夏目漱石は「京都は陰気で嫌いだ」といった。

夏目漱石は「京都は陰気で嫌いだ」といった。たしかに、むかしの写真をみると「陰気」だ。もっとも、その「陰気」が京都の風格であることを漱石は踏まえていることはいうまでもない。
いまの京都はすっかり「陰気」を失った。夜放り出されたら、弘前や松山と区別がつかないだろう。
たしかに随所に京都の痕跡はあるが、総体としての京都はもはや失われたのではないか。
かろうじて「京都」が残っているのは、洛北の岩倉あたりだ。かの地の民家はいまのうちにみておいたほうがいい。三十三間堂は300年後もあるだろうが、岩倉の京民家は確実になくなっているからだ。
先に「夜放り出されたら」と書いたのは、昼間なら比叡山がみえるからである。京都は比叡山との関係でとらえるべきだと私は考える。
政治都市に威圧を加える宗教勢力。この緊張感が王城の歴史を築いてきたからだ。
だから、京都に降り立ったら、まずは御所におもむき、まず比叡山を視認するのがいい。
ピンポイントで寺社仏閣をみても意味がない。それでは、歴史博物館で土器の破片を眺めるようなものだ。
わずかな期間であったが、京都住まいのいちばん収穫はこの一点に尽きる。そう、京都の緊張感の在りかだ。
このたび京都宅は貸し出すことにしたが、いずれまた戻ってきたい。
街角にはもはや見るべきものは失われたが「陰気」は感じるものだ。「陰気」に反応できる心身を維持したい。


posted by 雄峰 at 11:29| 落人日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
×

この広告は180日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。