2016年03月25日

【160201】何のはずみか、坊やが「お酒飲んだら?」などと口走った。

何のはずみか、坊やが「お酒飲んだら?」などと口走った。あまりにも唐突だったので、文脈は覚えていない。
そもそも断酒のきっかけは、坊やの「お酒飲まないほうがいいよ」というひと言であったことを思えば、このひと言をもってして解禁としてもいいのかもしれない(いまのところ、そのつもりはないが)。
だが、もはやこの段階になると、酒を飲む飲まぬという話はどうでもいい。
断酒をきっかけにして、私はそれまでの「世界」を抜け出してしまったからである。
「世界」というのはたんに時空や交友関係をさすのではない。生活習慣、思考癖、行動指針などで織りなされた「自己」のことである。
その自己において「別のところ」にスリップした感がある。
最近、村上春樹ばかり読んでいたから、ついこんな妄想をしてしまうのだろうか。
坊やのひと言も、羊男の託宣のように思えてくるし、自分も周囲の人びとも作中人物に見えてくる。
そう、人生が「物語」に思えてきた。これが近い。
これは一種のパラノイアなのかもしれない。だが、日常に物語を感じるほうが人生は充実したものになる。
脚本家はどんなシナリオを書き、監督はいかなる演出をほどこそうとしているのか。それを察知して、みずから演じる。自己を放擲し「役」に憑依する。
村上春樹は「小説はすぐには役に立たないが、そのうち立つかもしれない」という主旨の発言を『村上さんのところ』でしていたが、あるいはこういう効能をいっているのかもしれない。


posted by 雄峰 at 11:13| 落人日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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