2016年03月25日

【160131】ベッキー問題というのが出来しているらしい。不倫か何かしたみたいね。

ベッキー問題というのが出来しているらしい。不倫か何かしたみたいね。
甘利大臣も何かしでかしたようだが、いずれも私及び家族に直結する問題ではない。だから関心を持たないことにした。
司馬遼太郎は折々「余事にかまけるな」と作中に込める。
上記のニュースなどは、私にとって余事でしかなく、こんなものに関心を持っていたら、時間がどれだけあっても足りない。それだけではない。精神の平衡も損なわれてしまう。
こんなことを言っているが、10年くらい前は違った。
ベッキー問題について語り、甘利大臣問題について講釈していただろう。
その後、それがめちゃくちゃかっこ悪いことだと知ったから、興味を持たないよう自分を戒め、そうしているうちに、しだいに興味そのものがなくなってきた。
もっとも、人が何に興味を持とうと自由だ。好き好きでやればいい。
だが、そのとき、一つだけ肝に銘じておいたほうがいいことがある。
それは「許せない」という言葉はつかわないことだ。
つまり、ベッキーあるいは甘利大臣に対して「許せない」とは言わないほうがいい。
なぜなら、許すかどうかは当事者や関係者だけの権利であって、それは部外者には付与されていないからである。
「許せない」と思うのなら、よけいなことは言わずに、「許せない」行動をしないよう、みずから範を示せばよい。
この手の「断罪癖」はいずれ自分を裁くことになる。
無関係の者どもから「許せない」と罵詈雑言を浴びてはじめて目が醒めるときには、すでにおおくのものを失ってしまっていることだろう。


posted by 雄峰 at 11:12| 落人日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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