2016年03月25日

【160128】目の前の事象をいかに「解釈」するかで、困難を乗り越える。たとえ、悲劇に見舞われようと、それは自分が成長するための糧。その事象をいかに「解釈」するかで乗り越えることができるーーそんな内容の本が昨今受け入れられているようである。

目の前の事象をいかに「解釈」するかで、困難を乗り越える。たとえ、悲劇に見舞われようと、それは自分が成長するための糧。その事象をいかに「解釈」するかで乗り越えることができるーーそんな内容の本が昨今受け入れられているようである。
私はこの考え方には違和感がある。
なぜなら、いくら「解釈」を変えようとも「行動」が変わらなければ、何も状況は変わらないからだ。
「解釈主義」は怠惰に流れやすい。頭脳だけの作業で事足りるという安逸さは、具体的に身体を動かすことを厭わせる。
「行動主義」ならそうはいかない。酒を断つ、走る、書くなど、行動をともなうから、自分に対して情け容赦ない。頭で考えた言い訳なんて一刀両断してしまう。
だからといってむやみに動き回っても、「解釈主義」の延長線上だったりする。
「精神力が足りない」と自省した遊び人がナンパ修行に精を出す、なんてことになってもなんの解決にもならない。
では、どうしたら、「行動主義」に立脚することができるのか。
ヒントになるのが、田坂広志先生の「狭き門より入れ」という言葉だ。
二択を迫られたときにあえて「イヤ」と思うほうを選ぶ。
この鍛錬は効き目がある。「解釈主義」の真逆を採用しなければならないことがほとんどだからだ。
その鍛錬の結果、西郷はおのれを「西郷隆盛」にしていった。
英雄は「丸くなる」のではなく「丸くしてゆく」のである。


posted by 雄峰 at 11:10| 落人日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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