2016年03月25日

【160127】善因善果、悪因悪果。因果関係に根ざして生きることが、戦略的に生きることにほかならない。

善因善果、悪因悪果。因果関係に根ざして生きることが、戦略的に生きることにほかならない。
思わぬ幸運に恵まれたら自重する。不幸に見舞われたら、この先の幸運に期待する。
私が行ってきた断酒やダイエットなどは、この因果律を手元に引きつけ、人為的に運命を操作しようという営みであるといえる。
ところが、この感覚が欠落している人がいると知り、いまさらながらとても驚いている。
「3連勝したから、次も勝つだろう」
「失敗続きだから、次も失敗するだろう」
彼らはこんなふうに考える。私には皆目わからない。
株式投資はやめたが、みんなが絶望的になると買い、ノリノリになると売ってきた。
アベノミクスで上がってきたときに外貨も含めすべて売り払い、その売却益でいまの仕事場マンションを購入した。
今後は株や為替なんぞに煩わされたくないので、金輪際手を出さないが、そんな投資法は投資の神様バフェット流なのだということだ。
話が逸れた。
因果律に対する「帰依」、これが私のいわば宗教心ともいうべきものかもしれない。
高橋御山人とウマがあうのは、こうした「宗教心」が酷似しているからなのかもしれない。
因果律をつねに意識しているから、我々は貪らない。行き過ぎれば制動をかける。過剰は剥奪の元。
「貪り」と「慎み」、これらの按配にその人の戦略が表れる。言い換えれば、貪る者には戦略など必要ない。
コイン掴み取りでおおいに掴んで、手が抜けなくなる。そんな道化者は街の人気者だが、とうてい私にはできないなあ。


posted by 雄峰 at 11:09| 落人日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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