2016年03月25日

【160113】「成功体験」というものは往々にして「若さ」にともなう優遇体験に過ぎない。

「成功体験」というものは往々にして「若さ」にともなう優遇体験に過ぎない。
若いから受け入れられた。若いから許された。若いから任された。若いから引き上げられた。
これが現実なのに、それを「実力」だと勘違いしてしまうと、世のすべての事象が逆さまになって見えてくることになる。なぜなら我々は歳をとるからである。
周囲を見まわしてみると、「25歳OS」のまま30代、40代さらには50代を迎撃している人がいる。
そんな古ぼけたOSは一刻も早く切り替えねばなるまい。
だが、パソコンならそう対処しても、おのれの人生でアップグレードしている人は数少ない。
アップグレードせずとも、そういう現実があることを知ってもらいたいものだが、「都市」にはそうした機会も機能も乏しいから、それも困難だ。
年寄りになっても「若者」として遇され、「若さ」を至上の価値とする異常空間。
いつまでも「若者」のままで生かされてしまうのが都市というものだ。
成熟社会の人生戦略は、都市の異常さに気づくことから始まる。
都心で暮らすのはラスベガスでホテル暮らしをしているようなものだ。
勝ち逃げするか、せめて負けがこむ前に逃げ出すべきだろう。
かといって、そのために身を都市の外に置く必要はない。意識の置き場所を変えるだけでいい。
そのための第一歩は年齢を直視すること。自分の日常は年相応か、それをおのれに問うてみてみるのである。


posted by 雄峰 at 11:00| 落人日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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