2016年03月25日

【160107】10年前の私は、毎日遊ぶほかなかった。

10年前の私は、毎日遊ぶほかなかった。
日々飲みあるき、しょっちゅう旅をして、また飲み食い。寄り集まってはまた飲み食い。
生活に困っていればまだよかった。それならば懸命に働くしかないからだ。
有閑おやじの「ゆとりライフ」は、当人にとっては、じつはのんきなものではない。
人生賭ける対象も見出せぬまま、憂悶やるかたない日々を送ることは、働き盛りの男にとって心身の毒でしかない。
今後、私のような手合いが増えてくるだろう。食うには困らぬが、燃焼する対象もなく遊んでばかりいるおやじ。
フェイスブックで楽しそうな様を公開して、いいねを糧に生きたとしても、有閑おやじの心に吹きすさぶ寒風はやむことはない。
燃え尽き症候群ならぬ「不燃症候群」ーーこれがいずれ社会現象となり、社会病理となっていくだろう。
燃焼する対象が得られぬことを苦にして精神を病んだり、犯罪に走ったりする。そんな時代を前に、我々は何をすべきか。
処方箋は遊びはむろんのこと、趣味でもない。
世のため人のために何ができるか。それを考え行動することではないか。
天賦の才の発揮のしどころを求めて、真田幸村は真田丸を築いた(ドラマはみてないけど)。


posted by 雄峰 at 10:47| 落人日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
×

この広告は180日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。