2016年03月25日

落人日記(109)


「あいにくの雨」というが、私にとっては心躍る雨だ。なぜ世の人びとは、こんなに雨を嫌うのだろうか。
昔ならわかる。舗装されていない道はドロドロにぬかるみ、歩くのにたいへん難渋した。
いまのような衣類もなかった。衣服には、あっという間に雨が染み込み身体を冷やした。へたに風邪をひいたら死にかねない時代だ。
山中でいきなり雨に見舞われたら、雨宿りする場所もない。大木のうろや岩屋、ましてやお堂などはそうは見つかるものではない。
こうした時代の雨のしんどさは察するに余りある。
思うに、こんにち人びとが雨を厭うのは、この時代の気分の残滓によるのではないか。
先祖代々、「雨はいやなもの」と言い聞かされているうちに、なんとなくそうだと思い込んでしまった。
実感をともなわないまま、社会的刷り込みは行われる。こういうものに敏感であると何かと疲れるし、周囲からも孤立するから、鈍感なほうが生きやすいのかもしれない。
本質を見極める眼とは、そうしたまやかしを見破る洞察力をいうのだろう。
だが、しょせん共有しあえるものではないから、こうして物することで溜飲を下げるほかない。
なんでこんな話になったかといえば、きょう坊やと新潟へ行く。
現地は雨だということだが、この時代、さしたる障害ではない。そんなことを言いたかっただけである。


posted by 雄峰 at 10:36| 落人日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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