2015年12月02日

断酒日記 58日目「賞賛? 挨拶? お礼? いいね考」


エレベーターで出くわした人にはこちらから挨拶するようにしている。
だが、同じ人から何度か無視されれば、挨拶しないようにしている。これは相手の意向を慮ってのことだ。
相手によって態度を変えることは、品性に欠ける行為であるとは思う。
だが、挨拶習慣のない人にしつこく挨拶するのも、自分の価値観の押しつけといえなくもない。
なんでこんな話をしているのかといえば、オンラインでの挨拶のありようについて考えているからだ。
もっとありていに言えばフェイスブックの「いいね」ボタンについてだ。そもそも「いいね」とはいったい何なのだろうか?
賞賛? 挨拶? お礼?
文字通り解釈すれば、賞賛ということになるだろうが、それだけとは言いきれない。
友達のばか食い記事やちゃらんぽらん記事にも「いいね」を付けることもままあるからだ(ただし、政治、企業などに対する論評は、善し悪しは別として、反応しないことにしている)。
むろん挨拶、あるいはお返しとして、「いいね」ボタンを押すこともある。むしろそれが大多数だろう。
これら「いいね」をめぐるスタンスの違いは、エレベーターでの挨拶同様、人間関係を微妙なものにしかねない。
そのあたりをつつがなくやるのがリテラシーというものなのだろうが、私はつい整理して向き合いたくなる性分だ。
もし「いいね」が有料だったらどうであろうか?
「いいね」代として1回1円を支払う。その一部を書き手が受け取る投げ銭システムだ。
そうすれば有用な記事を書こうと躍起になる人が増えるし、「いいね」について共通のスタンスが構築されるかもしれない。
既存の「いいね」は「みたよ」ボタンに代替させ、こちらは無料にするのはどうだろうか。
そんなことはもう運営会社は検討済みなのだろう。やらないところをみると、それではSNSの醍醐味が損なわれると判断したのかもしれない。
ともかくフェイスブックという偉大な発明なくして、私の断酒はなしえなかった。とても感謝している。
これを今後、いかに生産活動に結びつけてゆくか、まだまだ工夫の余地はありそうである。
写真:野口悠紀雄を尊敬している。『「超」集中法』は良書だが、本書で提唱される「集中」は私の得意分野だ。
私に必要なのは『「超」中庸法」なのだが、そんな本はない。自分で書くほかなさそうだ。

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posted by 雄峰 at 11:15| 落人日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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