2015年12月02日

断酒日記 57日目「茶の堕落 酒の堕落」

禅僧栄西がもたらして以来、茶は長らく「薬」であった。室町末期に村田珠光、武野紹鴎、千利休を経て、それは「嗜み」から「芸術」へと昇華していった。
当時、人びと日常的には水を飲んでいたので、茶は非日常の格別なものであった。
こんにちのように、ペットボトルでぐいぐい飲むというしろものではなかったのである。
そんな時代の茶だったからこそ、芸術の題材となったわけで、現代における茶道と当時の茶の湯は質的に異なるとみたほうがよいだろう。
おのれの命を的に生きる荒くれ武将どもが、たぎった血を鎮めるために喫する茶。
小笠原礼法でがんじがらめになった対座の面倒を避けるために利用した茶席。
茶の湯とは元来、男たちの事情によって成り立っていたのである。
こんにちのように、女衆の手習いとしての茶道には、茶の湯に込められた往時の気魄というものはもはや見受けられない。
これは酒についても同様である。
その昔、酒にありつけたのは冠婚葬祭のときくらいであった。
とくに祭の酒は、日常から離れてハレの日を祝うものであった。
また、神事に用いられるように、酒は神との交歓のための触媒でもあった。
血を鎮めるための武士の茶、血をたぎらせるための庶人の酒。両者の好対照ぶりが面白い。
そんな酒が、いまや水以下の日用品に成り果ててしまった。
ここで、本来の酒の存在意義は失われたといえよう。
酒が堕落した現代においては、飲まぬほうがむしろ「神」に近接できるのではないか。
写真:幼稚園に送りついでに野菜を仕込み、仕事場で鍋にします。最近、どういうわけか餅が好きになってきました。

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posted by 雄峰 at 11:15| 落人日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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