2015年11月02日

断酒日記 45日目「ナルシシズムという魑魅魍魎」


ナルシシズムーーどうやらこいつが私というものの基調をなしているようだ。愉快ではないが、事実なのだからしかたがない。
ナルシシズム、言いかえれば自己陶酔症。自己愛が強烈すぎて、他者の感情が見えない、他者への配慮が行き届かない。「自分」に酔っぱらって、周囲を不快にさせたり、迷惑をかけてばかりいる。もはや精神のジャンキーであるといってもよかろう。
ナルシシズムは、尊敬する司馬遼太郎がもっとも忌みきらう性情である。その臭気には堪えられぬとよく述べておられる。
彼の描く英雄、例えば竜馬、大久保、西郷、信長、道三、あるいは彼が愛した芸術家たちにナルシシストはいない。
彼らも人間である限り自己愛は持っているが、それは「人生の大事」や作品への全身全霊の没入によって雲散霧消してしまっている。
「芸術は自己愛が変質し昇華したものである。芸術家であるためには、その前に自己愛離れが不可欠」と司馬はいう。
仕事にしても作品にしても、ナルシシズムのかけらが残っているようでは、まだまだ二流以下。未熟者である。
人は瞬時にそこに臭みを見出して、息を止めて小走りに走り去ってしまうだろう。
そういう点で、フェイスブックのタイムラインは、ナルシシズムのショールームの様相である。
どこ行った、これ食った、こんなに集まった。
そこに漂うのが、その人のダンディズムの香気なのか、それともナルシシズムの臭気なのか、それは見た瞬間わかる(高橋御山人師や若松親方の捨て身の記録ぶりを見よ)。
むろん、私の言論など、自己愛の結晶。後者の代表的存在である。
おのれを愛し、愛してもらいたいという幼稚な情動によって織り成されたものであると認めざるを得ない。
ただ、いくらか弁明すれば、私の記事は読む人にとって役立ってもらえるよう渾身で臨んでいる。
世の中に価値をもたらしたいという、公共心は少なからずあると自負している。
できるだけ見栄を張らず、できるだけ虚飾せずに、できるだけ捨て身で語りたい。
私という道化者を通じて、世間や人間のリアルの片鱗を見ていただきたい。その上で、幸せに生きる上で参考になれば心よりうれしく思う。その赤心に濁りはない。

写真:エーリッヒ・フロム『愛するということ』。ナルシシストには、愛することはできない。愛するとは自然と湧き出でる情動ではなく、一種の責任感なのだから。

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posted by 雄峰 at 13:33| 落人日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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