2015年10月01日

断酒日記 16日目 「手放さなければ、奪われる」


5年前のこの時期、16日間禁酒したことがある。飲み始めてからの最長記録であった。
当時、家内が身ごもっていたが、不正出血などが頻出し、胎児の生命が危ぶまれていた。そこで願掛けすることにした。
開けたばかりの芋焼酎の瓶をドボドボとシンクに流して気勢をあげた。
願掛けが奏功したのか、その後持ち直して、無事出産。頑健な4歳児に成長している。
このときの16日間に今日並んだ。当時は一時的な、いわば「お百度」を踏むようなものであった。
なので、めどが立った段階で、飲酒を再開した。
だが、今回は違う。目標を達成するまで飲まないと決めた。
私は欲張りなので、あれもこれもと求めてしまう。
だが、おのれの「器」というものには容量がある。器とは、いわば紙袋のようなもので、それを越えたものを入れようとすれば溢れるだけでなく、破裂してしまう。
人生のリズム感のある人は、この入りと出のバランスをとりながら新陳代謝している。努力して、容量を徐々に大きくしている。
器に新しく何かを入れたいのであれば、その前に何かを捨てなければならない。あるいは、器を大きくしなければならない。
たとえば、妻を娶り子供が生まれたら、それまでの仲間づきあいや趣味にあてる時間は減らしたりするように。
このとき、それまでの「既得権」を手放さなければ、天から妻子ともども奪い取られることになる。
ところが、いまの世の人々はこのシンプルな原理についての意識が低い。どこかに裏技、裏口、抜け道があるのではないか。そういうまやかしに囚われているのである。
ダイエットするには、食べる量を減らし、運動するほかない。
金持ちになりたいのなら、がんばって稼ぎ、支出を減らすほかない。
にもかかわらず、安直な手立てを懸命になって探し求める。
そんなことをする時間があれば、運動でも仕事でもすればいいのにね。


posted by 雄峰 at 09:28| 落人日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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