2015年09月23日

断酒日記 12日目 「酒の喪失は、言語の喪失」

重度の酒飲みにとって、酒を失うということは、いわば言語を失うことに近いのではないか。
我々は日本語をつかって表現し、日本語をつかって記憶にとどめる。
同様に酒飲みは、酒を用いてセルフイメージを構築し、酒とともに思い出を作っている。
酒が失われることは、ともすればアイデンティティの喪失であり、記憶の封印にほかならないのである。
いきなり日本語のまったく通じない国に放り込まれたようなものである。
そこには、日本語の書物もない。ネットもない。
コミュニケーションにも多大なストレスを感じるし、読んだり観たり、表現したりという楽しみも限られる。
「だったら、そこならではの文物でも見ればいい」という人はよほど想像力が欠如しているのだろう。
それは短期旅行者の発想であり、いつ離脱できるかわからぬ境遇において、そんな悠長な言葉は出てこないはずだ。
この喩えにしても生温いような気もする。なぜかといえば、私の周囲には、酒が満ちあふれているからだ。
スーパーでも駅の売店でも、酒はいつでも手が届くところにある。
ないならないで諦めがつくが、あるのに自重するには、よほどの忍耐力が必要になる。
近年、酒はじつに安く、また、どこでも手に入るようになった。
これから先、アルコール依存性患者は激増するだろう。
酒やタバコは税収に貢献するのだろうが、これによって医療費が嵩んでしまっては本末転倒である。
国民をアヘン漬けにしないためにも、節酒断酒といった教育的な施策も同時に打ち出していかねばなるまい。
また飲み屋も飲ませてナンボではなく、酒をめぐるサロンへの昇華があってもいいように思う。

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posted by 雄峰 at 15:39| 落人日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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