2016年03月25日

落人日記(104)


2度目の調停で決着がついた。6年前のちょうどいまごろのことだった。
「無実の罪」で断頭台に立ったーーそういってもさしつかえなかろうかと思う。
詳細をいうのははばかられるが、あれでよかった。今でも悔いはない(「相手」に対しても意趣がない、どころかいまでも心から幸せになって欲しいと願っている。ただし、向こうの弁護士には今なお、恨み骨髄である。元国会議員で、その後、悪因悪果。没落した)。
さて当時、亡き祖母の言葉がなんども脳裏をよぎった。
「負けるが勝ちだあよ、ゆうちゃん」
未熟者の私は、長らく、その言葉の意味するものがわからなかったが、「負け」をみずから選んだとき、その真髄にふれられた気がした。
「負けるが勝ち」とは、ひょっとしたら「負けるが価値」ではなかったのか。
その後転落し、都下に落ちのびた。以来、早いような遅いような6年を経ていま思うのは、目先の「勝ち」を狙うことの愚かさである。
目先の「勝ち」を追うから、人生レベルで「敗北」するのだ。
「勝ち」にこだわらず、いさぎよく落ちるときには落ちる。
人生にそんなことが一度や二度あったほうが、よりしなやかに、溌剌と生きられるはずだ。この時期になると、そんな感慨にひたるが、この程度で済んでいるのもシラフのたまものといえよう。


posted by 雄峰 at 10:33| 落人日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

落人日記 103日目


職業を尋ねられるときほど戸惑うことはない。
経営者、客員教授、著述家ーーいずれも嘘ではない。だが、真実を表しているともいいがたい。
私の身の上をひとことで表現するのなら「落人」がふさわしい。
「落人なんて縁起でもない」
死んだ婆様はそういうであろう。
だが、そうだろうか。落人はなかなか魅力的に思えるのだが。
能登の時国家、名田庄の土御門家。檜枝岐や椎葉といった落人の里を訪れるたびにわくわくする。
「いまにみてろ」という気概と結束がエネルギーとして滞留しているのであろうか。不撓不屈のエネルギーが充満している落人の里こそ、パワースポットというべきかもしれない。
私もこのまま朽ち果てるつもりはない。目下雌伏しているが、身辺を整え英気を養い、捲土重来を期す。
仕切り直し第2弾として、今後は「落人日記」とすることにした。
posted by 雄峰 at 10:32| 落人日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

男酒日記 102日目


予想外であった。
フェイスブックページ「耳学問の雄峰塾」に日記を移行させたとたん「いいね」が激減した。
正午時点で3分の1程度であるが、最終的には5分の1程度になるのではないか。
だからといって、
「みなさーん、いいねしてくださいね〜 (^_^)☆」
というつもりはない。
このままでいい。状況の変化にあわせて改善できるというのも楽しいものだ。
断酒日記を綴る上で、いいねは励みになった。衆人環視がなければ、断行できたかどうか。100日目を迎えられたのもみなさまのおかげである。
さて、数が減ったとはいえ、今回はみずから登録してくれた読者だ。私の文章がなにがしか琴線に響いた人たちなのである。
となれば、多少意欲的な取り組みをしてみたい。
こういうとき、最初に「パンパカパーン」とやってしまってはだめだ。それが制約になり、継続と飛躍の妨げになる。
すこしずつ試行錯誤しながら、落ちつきどころを探るとしよう。
まず手始めとして、日日のタイトルと写真をやめることにした。
posted by 雄峰 at 10:31| 落人日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

男酒日記 101日目「無慈悲中断仕事術」

村上春樹は1日10枚の原稿を書く。書けないと思っても10枚なんとか書く。たとえ筆が進んでも10枚で打ち切る。
ーーこの方法を知ったとき、「書けるときに、どんどん書いたらいいじゃん」と思った。飛ばせるときに飛ばしておけば「貯金」ができる。それがゆとりになるだろうと。
だが、私の認識は浅はかであった。
先日来、2時起きに取り組んでいるので7時ころには寝床に就く。そのため、昼過ぎあたりには「着陸態勢」に入らねばならない。そこで午後1時を終業時間にした。
だが、最近のってきたので、そのまま仕事を続けたくなることが増えてきた。
そんなとき、前出の言葉を思い出した。物は試し。区切りは悪かったが、午後1時きっかりにエイっと仕事を打ち切ってみた。
すると、翌朝2時にパチっと目覚め、猛然と再開できたのである。
昨日の「熱」がそのまま持ち越されたのだ。これには驚いた。
思えば、やれるときに存分にやろうというのはケチな考え方だ。ガッついて食えるだけ食おうとする浅ましさに近い。
そのとき欲張りすぎるから、その場かぎりのがんばりで終わってしまう。欲張らずにセーブしておけば、もっと大きな果実が得られたのである。
そういう意味で、「キリのいいところまでやろう」という考え方は精神的惰弱の表れであるといえる。
なぜなら、キリの悪いところで中断するのはじつに気持ち悪く、よほどの精神力がなければなし得ないからだ。
ひと段落なんて言わずに、無慈悲に時間で区切る。これによって、そのときの勢いを明日につなげることができるし、精神力までもが養われるのである。
そう考えると、終電は早くしたほうがいい。締め切り効果とお預け効果が相乗効果を発揮するはずだ。
景気対策の一つとして、終電を遅くしようなんて案がよく出るが、これは逆効果だ。
終電は22時ーーこれが国民経済躍動の切り札であろう(飲み屋は困るだろうなあ)。
写真:和菓子屋に寄ってから、浅川に散歩に出てみた。半年前は、ここに腰掛けてカップ酒を飲んでたなあ。

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posted by 雄峰 at 10:31| 落人日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

男酒日記 100日目「毎日を『記念日』にしないために」

断酒100日ーー以前の私なら迷わず祝杯をあげていただろう。いや、みずから祝宴を催していたはずだ。
むろん、いまやそれは禁じ手だ。というか、もはやどうでもいい。だから、ふだん通りやり過ごすことにする。
酒を飲まないと、このように一日一日を淡々と送れるようになる。
飲んでいたころは、飲むための理由を血まなこになって探していた。
雨が降った。スタッフが悩んでいる。今日は小寒。かまぼこをもらった。思い出の本を読み返した。有名人が死んだ。ちょっと熱っぽい…
飲むための理由なんてなんでもいい。酒飲みはどうでもいいことで、いちいちしみじみするからいけない。
司馬遼太郎先生は「無用な感慨を持たぬよう自戒している」といっていた。
酒を飲むための理由づけなど、まさに無用な感慨の極みである。いちいち立ち止まり、杯を傾けていたらちっとも先に進めない。
100日目という区切りの日だからこそ、なおさら淡々と過ごしてやる。毎日を記念日にしていては、人生が台無しになる。
今日を「記念日撲滅宣言の日」にしよう。
写真:司馬先生が愛した草花。うちの庭にも植えるかな。
◼︎男酒日記、明日からは、以下のフェイスブックページで綴ってゆきます。「耳学問の雄峰塾」にいいねすれば配信されますヨ (^_^)☆
https://www.facebook.com/seikejuku/

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posted by 雄峰 at 10:28| 落人日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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