2016年03月28日

【160328】1日も欠かすことなく、日記は今日で200日目を迎えました。

1日も欠かすことなく、日記は今日で200日目を迎えました。
自分を知る得難い機会になりました。何事もやってみるものですね。
以前もふれたとおり、明日からしばらく(100日?)日記は休止して、拙著『英雄問答』を紹介していくことにします。よろしければお読みになってください。
『英雄問答』はこれから商業出版する予定です。出版のあかつきには何卒ご贔屓のほど。m(_ _)m
尚、将来的には本書を土台にした「学校」を設立しようと目論んでいます。私は執念深いので、いずれ陽の目をみることでしょう。
さて、100日目を境に、私はフェイスブックを引退しました。これは英断でした。
リアルおしゃべり(=飲み会)とバーチャルおしゃべり(=フェイスブック)をやめることで、文章で語ろうとする意欲が高まったからです。
しゃべり散らしていると、そこで発散されてしまって、文章に帰結させる力が弱まってしまうのでしょうね。
現在の形式にも慣れてきて、すこし楽しくなってきてしまいました。
この状態に淫してしまっては未来がありません。このあたりで、つぎの100日に向けて、さらにストイックな挑戦をしてみようと思いました。
それは「沈黙の行」です。
1 コメントには無反応(メールには当然リアクションします)。
2 スマホからFB用アプリを削除(FBアプリはすでに削除済み)して、PCから1日1回程度(週末は休むかも)のアクセスにとどめる。
3 日常的にも無駄口や余事を排除して、コンテンツ制作に集中する。
そんなことをやってみたら、私にいかなる化学反応が起こるのか。それを実験してみたいと思います(いずれ報告します)。
さて、どんな方が反応してくださるのかは、私にとってとても興味深く、これからも日々楽しみにしています。
雰囲気は変わりますが、これからもよろしくお願いいたします。
盛池雄峰 拝
posted by 雄峰 at 08:01| 落人日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

【160327】こんなに気難しく、こうるさい男の嫁とは、いったいどれだけ「できた人」であろうかと思われるかもしれない。

こんなに気難しく、こうるさい男の嫁とは、いったいどれだけ「できた人」であろうかと思われるかもしれない。
大家族の嫁として、義父母とも義妹家族とも折り合いがよく、子供たちにもやさしい。
幼稚園のママ友たちとも仲良く、近所づきあいもいい。私が孤立しているのとはえらい違いだ。
貞操観念が堅固で、身体も丈夫。2人の子供を産みながら、あのナイスバディはたいしたものだ。
日がなのんびりテレビを見て過ごし、夜は8時には子供たちと寝てしまう。
彼女のすごいところはこれだけではない。
まず第一に、夫に無関心である。これは武士の内儀の嗜みとされていた美徳だ。
「愛情の反対は無関心」というが、甲斐甲斐しさの見返りに束縛されるくらいなら無関心でいてくれるほうがどれだけありがたいことか。
そして何よりもよかったのが、私と話が「まったく合わない」ことだ。
私がいくら日本およびその歴史を憂慮しようと、彼女には馬耳東風。「演説」を始めると、数分でウトウトし始める。
当初はそれにいらだったが、いまは違う。夫婦の会話は、週に原稿用紙1〜2枚程度でいい。それが夫婦円満の秘訣。夫婦の会話は減らすにかぎる。これが阿吽の呼吸につながるのである。
もっとも、私のような異常活力者にまともに向き合っていたら精神を病んでしまう。
私にしても、相手にされないからこそ外の世界で勝負しようという気魄がみなぎる。
西郷隆盛も大村益次郎も家庭には居場所がなかった。家庭の居心地がいいことは、男にとってけっしてよいことではないのだ。
「あげまん」とは甲斐甲斐しい女というより、なんであれ男を奮起させてくれる女をいうのだろう。
これぞ天の配剤、夫婦とは妙なるものなり。

○耳学問の盛池塾
サイトをリニューアルしました。過去のラジオ音源もお聴きいただけます。
http://yuhoo.jp
posted by 雄峰 at 08:00| 落人日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

【160326】以前、未公開株で損をした。

以前、未公開株で損をした。
そこの社長が詐欺罪で逮捕されて会社がつぶれたのである。当然、株券は紙屑と化した。
その会社は、金持ち向けの雑誌を刊行していて、金持ちの子弟をスイスとかの学校に入学させる代行業なども手がけていた。
同社のビジネスモデルには興味がなかったが、いろいろいきさつがあって購入することになった。
時代はいわゆるネットバブル期。こういう与太話がそこらじゅうに転がっていた。
私のところにもよくそんな話が持ち込まれ、手を出しては儲かったり損したりしたものだ(尚、株や為替はアベノミクスで上がったときに全部売り払った。今後はいっさいやらない)。
友人のギャラリストが当該社長と仲が良く、彼らの豪勢なセレブ話をよく聞かされたものだ。
そんなのはしょせん「広告宣伝」だからと話半分で聞いていたが、噴飯話が多くて楽しかった。
たとえば、「NASAが撮影した映像が手に入る。それを上映する立ち食いそば屋を始めようと思う。ついてはーー」とか、思い出すだけで笑いがこみ上げてくる。
マルチビジネスをやる人の常套的手法は、派手な生活ぶりを披露して「子ネズミ」を集めるというもの。
つま先をぶるぶるさせながら背伸びして、ギリギリの見栄戦略を展開している。
「資本」が尽きたら、そこでおじゃんだから悲壮感がすごいのだが、昨今、その手法が民間人の間にも広がってきているようである。
フェイスブックで派手で楽しげな生活ぶりを披露するさまに、その雰囲気を嗅ぎ取る。
もっとも、セレブ商売やマルチをやる人は、たとえ見栄や虚勢を張っても、そこにキャッシュポイントがあるからまだいい。
だが、一般人がいくら見栄や虚勢を張ったところで得られるものは「いいね!」でしかない。
よけいなお世話であるが、あまりにも無為な営みではないか。
フェイスブックを引退して3ヶ月になる。やめてほんとによかったと思う。
日常のなかに巣食う見栄ポイントが極端に減ったからだ(たとえば、無為に写真を撮らなくなった)。
フェイスブックは見栄の博覧会。へたに参加すると、足元をすくわれかねない。
posted by 雄峰 at 07:59| 落人日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年03月25日

【160325】「選挙にカネがかかる」とはよく言われるが、どこにどんなふうにカネが流れているのかーー100人中99人、いやそれより多くの人は知らないはずだ(市の総務部長も知らなかったのには驚いたが)。

「選挙にカネがかかる」とはよく言われるが、どこにどんなふうにカネが流れているのかーー100人中99人、いやそれより多くの人は知らないはずだ(市の総務部長も知らなかったのには驚いたが)。
ここでばらすのは控えるが、それを知ったとき、日本社会の「地に足のついた精神性」を発見できて嬉しく思った。
もう一つ感動したのが「政治部記者魂」である。
私はドクター中松氏や羽柴誠三秀吉氏などに連なる独立系泡沫候補であったが、どういうわけか左翼陣営と目されていた。
NPO代表という肩書きがそんな風聞を招いたのかもしれない(その一方で、著書『北方四島の記憶』を持ち出して「右翼の青年」とよばれたこともある)。
そんな謎の男に、NHKの政治部記者がコンタクトしてきた。
「私のような者に関わっても意味がありませんよ」と告げたが、何やら熱心である。
会ってみたが話が噛み合わない。彼はいったい何を目論んでいるのか?
しばらく経ってから、ようやく合点がいった。彼は「キングメーカー」になろうとしていたのである。
田舎の県議選で「キング」とは笑止千万であるが、要はメディアの力を使って私を当選させようということらしい。
「メディアが政治を左右しようとはけしからん」などとチンケなことを言うつもりはない。古来、メディアというものは政治を左右するものだからだ。
それを目の当たりにできたのは感動的だった。
政治を批判するのはたやすい。だが、やめておくほうがダンディだ。なぜなら、メディアに切り取られた政治情報なんて一場のネタでしかないからだ。いい大人が、キッザニアでビジネスを語るようなものだ。
もっと悪態をつけば、政治を語ることは霊感を語るようなものでもある。「みえている」のは当人だけだからである。
政治と宗教について紳士が語らないのは、馬脚をあらわしやすいからではないか。
政治の現実を知る者は口をつぐみ、宗教の現実を知る信仰者は無言で拝み祈る。
政治談議とは結局、酔っ払いおやじがガード下で語る与太話でしかないのである。
posted by 雄峰 at 12:06| 落人日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

【160324】家庭裁判所から「OK」をもらってからまもなく1年になる。旧名「雄歩(ゆうほ)」を「雄峰(ゆうほう)」と改めたのだ。

家庭裁判所から「OK」をもらってからまもなく1年になる。旧名「雄歩(ゆうほ)」を「雄峰(ゆうほう)」と改めたのだ。
昨今、DQNネームとかキラキラネームとかいわれているが、私の名などその走りであろう。
変な名前をつける親は、子供の人生に対する想像力が希薄であると言わざるを得ない。つけられた子供が直面する困難を想像できていないからである。
親父にも彼なりのロマンティシズムがあったことはわかっている。
だが、それは人の名において実行すべきではない。せいぜい本のタイトルとかペットの名前くらいにとどめるべきだろう。
ともかく子供の名に過剰な「想い」を込めてはならない。それは「重荷」でしかないからだ。
さて、改名は意外とかんたんにできる。5年も強引に名乗っていれば裁判所が戸籍名として認めてくれる。費用は800円程度。
だが、犯罪者が名前ロンダリングに悪用することもあるので社会的信用が必要だ(私は拓殖大学客員教授の登録名を「雄峰」にしていたのでスルリといった)。
親がつけた名を変えることは、整形に近い背徳感がある。改名に踏み切るには義絶に近い決意がなければなしえない。
こんな私でもそのあたりは引っかかった。「雄峰」とあたかも僧籍を取得したかのような隠微な変更にとどめたのもそういう心情の表れだ。
ちなみに、改名したら運がよくなった。
姓名判断とかまったく興味がないが、自分で命名したことで地に足がついた感じがした。これが自信をもたらし、ツキにつながったのかもしれない。こんな効果もあるから、改名は人生の選択として悪くない。
日吉丸が木下藤吉郎、羽柴秀吉、豊臣秀吉となっていったように、名前など気分と気概でどんどん変えればいいと思う。
二十歳になったら、いったん名前を継続するか変えるか意思を問うのはいかがだろうか。いかにも成人行事としてふさわしいと思うのだが。
我が子には一生懸命考えて命名したが、彼らが変えたいと考えるのなら、変えてもらって何らさしつかえない。
君たちの人生は、君たちのものだ。親の所有物ではない。
自分の人生は、自分で編集していけばいいのである。
posted by 雄峰 at 12:04| 落人日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

【160323】「この本の主人公、ゆうちゃんにそっくり。読んでみたら?」

「この本の主人公、ゆうちゃんにそっくり。読んでみたら?」
大学時代に交際していた彼女が差し出したのはサリンジャーの『ライ麦畑でつかまえて』であった。
そのとき私は(俺にそっくりな男の話なんか読みたかないね)と手にも取らなかった。
あれから四半世紀が過ぎた。今さらながら『キャッチャー・イン・ザ・ライ』(村上春樹訳)を読んでみた。
ーー何度も唾を飲み込みながら、ドキドキしながら読了した。
(これは、俺だわ…)
主人公ホールデンは名門高校に通う18歳。
何もかも気に入らない。あたりかまわず噛みついて総スカンを食っている。
彼なりの正義感も美意識もあったが、そんなことをわかろうとする人は周囲にいない(ふつういない)し、彼自身も開き直って悪ぶっていた。
退学させられたホールデンは、それから1年後、精神科医と向き合うことになる…
私がよくわからない衝動で語りかけている対象は「ホールデン」だったのだ。
そして同時に思い知る、当時の彼女の気持ちを。
最後の助け舟と差し出した本に見向きもしなかった「ホールデン」。その後、私に愛想を尽かし、彼女は成熟した男性の元に身を寄せたのも無理もない。
人を傷つけ人を損ね、その挙げ句、自分自身を傷つけ損ねる。そんなホールデンな俺ーーこんな馬鹿者をサリンジャーは描いていたのだ。
幸運にして私は生き延びた。ホールデンはその後どうなったのだろうか(サリンジャー自身?)。彼の消息が気になってしかたがない。
posted by 雄峰 at 12:03| 落人日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

【160322】我が家と隣の妹家族7人が墓参りに出かけて行った。ついでに食事して見物しての物見遊山である。

我が家と隣の妹家族7人が墓参りに出かけて行った。ついでに食事して見物しての物見遊山である。
私は不参加。仕事場に出てきた。
基本的に祝祭日は無視していることもあるが、「いない」ほうがみんな幸福だからだ。
私がいて喜ぶのは坊やくらいで、他の面々は気詰まりに感じる。これは私とて同様であるから、欠席するのが穏当なのである。
詩人・加島祥造の『タオ』に、「統治が完成したら、ひっそり身を引くんだ」という詩があった。
統治を成したからと、そこに居座り威張ったりしていては、みんなの迷惑だし、私自身もそこで一丁あがりになってしまう。
私はつぎに駒を進めるべく孤塁を守ろう。
孤独であるが、こういう役回りにはすっかり慣れた。
posted by 雄峰 at 12:02| 落人日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

【160321】一昨年、初めて銀行から融資を受けた。建物の建築費が足りなかったのである。

一昨年、初めて銀行から融資を受けた。建物の建築費が足りなかったのである。
担当者とは数年のつきあいで、足繁く通ってくるので折々金融商品などを買っていた。投資には興味がない。あくまでもつきあいとしてだ。
「融資の御用命はありませんか?」と聞かれるたびに、「ないなあ」と答えてきたが、事情が変わって借りることにした。
いざそうなると、担当者の雰囲気がちょっと変わり、じっさい融資が決まると「債権者」に変わり身を遂げた。
狭量な私はこういうのにやかましい。ちょっとしたすれ違いがあったとき、「マンション売って、さっさと返済するかなあ」とぼやいた。その途端、彼は態度を豹変させ、もとの揉み手に戻った。
駆け引きほど心身を消耗させるものはない。夫婦間でも仕事の取り引きでも駆け引きのないに越したことはない。
値引き交渉なども不毛だ。身辺からの「交渉」排除は、ストレス対策の根幹であろう。
ーーと書いていたら、高校時代の友人からメールをもらった。
彼は別のメガバンクのエリート行員で、昨日の「不快銀行」の記事を気遣ってくれるような紳士だ。
Aくん、ごめん。今日も銀行ネタだわ。m(_ _)m
で、さらに続ける。
何度もいうが、私は銀行やマスコミを総体として批判しているわけではない。どんな世界にも、紳士もいればゲスもいる。
私は、戦後日本において、いよいよダンディズムが喪失してしまったことを嘆いているのである。
私はそのなかでも、もっともダンディズムに欠ける品性下劣な部類だと思う。
こんな功利主義者ばかりになってしまっては社会は立ち行かない。
いま懸命に公の一部としての自己を確立しようとしているが、一生かかっても、「人間の芸術作品」と司馬遼太郎が絶賛したような域には達することはできないだろう。
日本の強みは、武士道由来のダンディズムに他ならない。
ダンディズムの回復が国の根幹を強化してくれる。いくら経済政策やら何をいくらやっても無駄である。そこに生きる人びとの精神が問われているからだ。
みっともないことをやらないで、立派なことをやる。
こんな当たり前のことが「異常」とされるのが、異常消費社会に他ならない。
自分にみる日本人の劣化ーーそれが私の日々の憂悶なのである。
posted by 雄峰 at 12:01| 落人日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

【160320】以前、某メガバンクから講師を頼まれた。その際「しきたり」として、丸の内の本店に挨拶に出向くことになった。

以前、某メガバンクから講師を頼まれた。その際「しきたり」として、丸の内の本店に挨拶に出向くことになった。
そこで面会したお偉いさんほど不快な人物は後にも先にもいない(あ、もう1人いたなあ)。
「こやつがふんぞり返っている社会を、いずれひっくり返してやるわい」と腹の中が煮え立った。
じっさい、そんな屈辱感が革命の原動力になるものだ。
明治維新の志士は三千人くらいであろうと司馬遼太郎は推測する。
当時の人口を元に換算すると、1万人に1人(現在の八王子市に換算すれば50人)という割合になる。
0.01パーセントの人間が本気を出せば世の中は変わるのである。
彼らの階層は「上の下」というところだろう。
近年、民衆史観イデオロギーが蔓延してきて、しばしば下層民が改革を担ったとされるが、さにあらず。
じっさいは下級武士、つまり見下された読書階級が主力であった。
現代社会になぞらえれば、私などまさに「上の下」に属すると思われる。
私は、いわゆる「上から目線」に対しては過敏で、「見下す者」を見下そうと躍起になる。
マスコミなどの「権力者」(ちなみにこんにちの政治家は権力者とは思えない)に食いつくのは、習性というより、天が与えた役割ではないかーーそんな気持ちにすらさせられる。
なんであれ、状況を勝手に解釈し、勝手に使命感を持っているほうが日々ハツラツと生きられる。
損で面倒な役回りだとは思うが、こんな人生であろうと、渾身の力でのぞむほかあるまいーーと旅の空。
posted by 雄峰 at 12:00| 落人日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

【160319】勘定してみたら、今月の28日に日記200日目を迎えることがわかった。

勘定してみたら、今月の28日に日記200日目を迎えることがわかった。
断酒のモチベーション維持と文章修行のために日々丹精してきたが、思いがけず読者を得られて嬉しいかぎりだ。ありがとうございます。
さて、この日記にもしだいに慣れてきてしだいに余裕が生まれてきた。悪くいえば、調子に乗ってきた。
これはよくない兆候だ。ぬるま湯にひたっていては未来がない。このあたりが、自分に負荷をかけるタイミングであろう。
では、何が「負荷」なのだろうか?ーーとジョギングしながら考えた。
どうやら「日々の心境を綴らない」ことが、今の私にとって負荷であるという結論になった。
思いついて間もないので、それがよいのかまだ判然としないが、この日記を断つことはちょっとつらい。
馴染んだ日課はこなさなければ気持ち悪いものだ。落人日記もそんな位置づけにある。
このタイミングでちょうど、2年がかりの原稿がようやく仕上がった。
201日目からは、この原稿(=『英雄問答』)を部分的に公開していこうかな。
原稿を淡々と公開することは、この場の継続になるし、私にとってもちょっとした「苦行」にもなる。
まだ10日あるので、もう少し検討してみよう。
posted by 雄峰 at 11:59| 落人日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

【160318】ショーンKさんを紹介されたのはもう10年近く前のことだ。

ショーンKさんを紹介されたのはもう10年近く前のことだ。
表情や語り口をばっちり作っている、とても不自然で、とても「まじめな方」という印象を持った。
初対面の私にかすかな警戒感を持っている様子だが、それを表に出さないように努力されている。そんな紳士であった。
佐藤優さんが出獄して最初に出演したのは私の番組であった。
まだ彼の評価が現在のようになる前のことで、私もどんな人物なのか興味津々であった。
佐藤さんは巨大に似合わずキョドッていて、復帰にかけていくぶん緊張されているようであった。
ぎこちないが諸事本気。佐藤さんもダンディであった。
大桃美代子との三角関係など、何かと艶聞の多い山路徹さんとは、彼の会社で面会した。
とてもにこやかな人で、育ちが良さそうな人という印象を持った。
私のような若造相手にも礼儀正しく、それでも他人行儀というわけではなく気さく。モテるのは当然だと思った。お尻をさわられたら、私も拒めなかっただろう。
「悪人」に実際会ってみると、マスコミで語られたり映し出されたりするのと「別人」であることがわかる。
そんな体験を数多くしてくると、今回の騒動でも、ショーンKさんの人間性をあれこれ言う気には当然なれない。
直接知りもしない人をあげつらうのは卑怯である(知っていても同様であるが)。中国人や韓国人だと、十把一からげにして語るのとなんら変わらない。
紳士たる者、そういうみっともないことに手を染めるべきではない。おのれの「一隅」だけ照らせばいいのである。
posted by 雄峰 at 11:58| 落人日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

【160318】手のひらにポチっとホクロができた。1週間ほど前のことだ。

手のひらにポチっとホクロができた。1週間ほど前のことだ。
最初は気にしていなかったが、だんだん気になりだした。
(これはガンではないのか?)
いったん不安が発動すると止まらなくなってしまうから困る。
以前、神田昌典さんがホクロのガン(メラノーマだったが完治!)で苦しんだことを思い出し、身体から力が抜けた。
見れば、中指の爪の縦筋も気になる。足裏は問題なさそうだ。
過去に2度、病気ノイローゼに罹っている。
1度目は大学2年の時、ガンノイローゼになって日々枕を濡らした。2度目は32歳の時、エイズノイローゼに罹って酒に溺れた。
私はとても神経質だ。小心で用心深いので、対世間ではそんなに苦労しないのだが「暴走する自分」にはつねに苦労してきた。
「世間」で悩むか「自分」で悩むか、人それぞれだが、悩みのない人間はいない。それぞれの悩みに向き合うしかない。
ネットで調べるかぎり、私のケースはまともな人なら気にしないものと思われる。
居合わせた編集者も「私も何年か前にここにホクロができましたよ」と気にしていない。そういう性格はうらやましい。
高校の先輩が近所で皮膚科を開業している。すぐさま行けばいいのだが、二の足を踏んでいる。
一刻を争う話ではないし、こういう機会に、苦しみながら、健康と生死について考えるのも悪くないからだ。
posted by 雄峰 at 11:57| 落人日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

【160317】法律番組をつくっていた関係で、弁護士と日常的に接するようになった。驚いたのは、彼らが一様に「別にやりたいこと」を持っていることだ。

法律番組をつくっていた関係で、弁護士と日常的に接するようになった。驚いたのは、彼らが一様に「別にやりたいこと」を持っていることだ。
ある弁護士は映画を製作した。
ある弁護士は本を書いて、作家への意欲を燃やしている。
ある弁護士は大学教授の道に進んだ。
私の顧問弁護士も、○○に野心ありと仄聞した。
むろん仕事命という人もいるが、私の周辺ではごく少数だ。
私はここに「プロフェッショナルの時代からアーティストの時代」への胎動をみる。「処理」から「創造」へのシフトといってもいい。
私も「処理」で報酬を得ている。やり甲斐もあるが、それだけは嫌だ。やはり、何かしら創造していきたい。一銭にならなくても何か創っていたい。
弁護士諸氏の「内職」にもそんな心の内が見てとれる。
話はそれるが、以前我が家に、某メガ新聞の記者が取材に来ることになった。取材とはいうが要は飲みである。
「もう2人同行していいか?」と言うので「いいよ」と告げた。やって来た同行者はあろうことか裁判官(男女1人ずつ)であった。
近年、非常識判決が問題になっているせいか、彼らに社会常識をつけさせるために、こんな「社会科見学」が導入されたらしい。
「取材」中、我々はさんざん酔っ払ったが、2人は飲まずにいた。
こんなの、社会勉強にはならないだろうと思ったが、そうでもなかったかなと今では思っている。
法律家は純粋培養ではなく、やはり「中途採用」を主にすべきではないか。世間力なき者に法律を濫用されては、軍国日本の二の舞だ。
かつて、世間知らずの士官学校出エリートが国をめちゃくちゃにしたように、「密室エリート」は国家の獅子身中の虫となる。
権力を監視するーーかの記者の属する新聞社はそんなことをよくいうが、彼が監視すべきは、目の前の法曹人ではなかったのかな。
posted by 雄峰 at 11:56| 落人日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

【160316】銀行は「金貸し」、弁護士は「代言屋」、新聞記者は「ぶんや」、証券会社は「株屋」ーー大正生まれの叔父はすべてがこんな調子であった。

銀行は「金貸し」、弁護士は「代言屋」、新聞記者は「ぶんや」、証券会社は「株屋」ーー大正生まれの叔父はすべてがこんな調子であった。
九州の片田舎から血気盛んに単身上京。最高学府、最高省庁に進み、一時は栄光を掴んだが、やがて哀しき田舎者。調子づきすぎて転落して、金融ブローカーへと堕ちた。
私が高3のとき、電話してきて、叔父はこう言った。「おい、ゆうちゃん、帝大に行けよ。せめて官学にしろ。俺の息子も帝大に行ったぞ」
「はい」と答えたが、疑問が生じた。(叔父には、子供がいなかったはずだが?)
親父に質すと、どうやら「隠し子」がいたらしい。その彼が「帝大」に入学したのだそうだ。
死んでだいぶ経つが、かの豪傑からはずいぶん影響を受けた。
世間のいわゆる「えらい人」に対してなんら気おくれしないのは、叔父の薫陶の賜物だろう。
肩書きに怖れるほどバカバカしいものはない。こんにち福沢諭吉が生きていたら、「親の仇」として侮蔑することだろう。
だが、こんな私でも畏れる対象がある。それは芸術家である。
そのへんのアーターをいうのではない。真のアーティストである。
新しい価値を生み出す人びとだ。そういう意味では絵描きや彫刻家ともちがう。「発明家」といったほうが適切かもしれない。
このアイフォンを作ったジョブズ氏など典型的なアーティストだ。
日本にも、千利休、蓮如、夏目漱石、空海、源頼朝、織田信長、日露戦争を戦った陸海軍首脳、ソニー、世阿弥といった独創家が少なくない。
プロフェッショナルの時代からアーティストの時代へーーという話はまた明日にでも。しからばこれにて。
posted by 雄峰 at 11:55| 落人日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

【160315】高尾山麓に、ツバメが舞い始めた。

高尾山麓に、ツバメが舞い始めた。
私はツバメを異常に愛していて、仕事場のベランダのイスに腰掛けて、高尾駅の上空を舞うツバメを飽きずに眺める。
ツバメを「誘致」するために毎年がんばってもきた。だが、なかなかままならない。
昨年は隣に暮らす妹宅の軒下に巣掛けしそうになったが、なぜか沙汰止みとなった。
我が家の玄関先にも巣掛けしやすいように棚を作ったが相手にされなかった。
もう何年も前になるが、旧宅の軒下に巣掛けしたことがある。ぶじ産卵し、毎日巣の様子を眺めるのが楽しみだったが、ある日、巣が落ちてしまった。
親ツバメは半狂乱になり、割れた卵の周りを飛びまわっていた。あの様子は、いまでも人生レベルのトラウマになっている。
ツバメをみるなら、新潟の頚城平野が最高だ。
高田の雁木通りを低空飛行するツバメ、妙高山の燕温泉はその名の通り、ツバメが乱舞する(一昨年泊まったら、カラスに追われて来なくなりつつあるらしい)。
自衛隊高田基地の観兵式。おごそかに繰り広げられる式のなか、風を切るツバメの勇姿。
山あいの棚田。家の軒先から飛び立つツバメと口を開け餌を巣で待つ子ツバメたち。
花は梅、鳥はつばくろ、風は皐月の鯉のぼり。月は比叡山にかかる朧ーーこれが私の花鳥風月。
posted by 雄峰 at 11:54| 落人日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

【160315】「寂しい人はカネがかかる」と木村剛さんは言った。

「寂しい人はカネがかかる」と木村剛さんは言った。
身寄りがなければ、例えば肩がこればマッサージ代がかかる。クルマのタイヤ交換でも手間賃がかかる。子供を預けるにも保育料がかかる。
これが私の場合だと、面倒くさがりながらも家内が肩腰を揉んでくれる。義弟がタイヤ交換してくれる。子供は爺婆が面倒をみてくれる。
これらを「外注」すれば、その費用はばかにならない。これは拡大家族だからできる強みだ。
拡大家族とは、核家族の反対側の概念で、要は三世代同居とか集住などをいう。
昔の家族は、三世代どころか叔父さんや知人の子供、さらには下宿人なども同居したというケースがざらにある。
いま水面下で進んでいるのは、こんな拡大家族化である。
たとえばシェアハウスなんてその好例だし、ゲイカップルもそういう範疇に入るのではないか。
同じ趣味の人たちが寄り集い、生活をともにするという動きもいずれ一般化するのだろう。
しがらみの煩わしさを避けて、都会で気ままな単身生活を楽しむことを望んだ人びとがいま、孤独死に直面するなど、核家族戦略のほころびが随所に現れてきている。
とはいえ、こうした流れに乗るには体質レベルで変革しなければならない。
まず必要なのがコミュニケーション能力だ。ついで忍耐力も不可欠だ。
身内とはいえ、他人と暮らすには、当然ストレスがともなう。独り暮らしの気楽さに慣れてしまうと、集団生活はかなりきついものに感じられるからだ。
その昔、「ひとりで生きていける力」なんてものが尊ばれたが、いまやそんなことはたやすい。
これからの時代において、必要とされる能力とは「10人で生きていける力」なのである。
posted by 雄峰 at 11:53| 落人日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

【160314】その昔は、カネが「ない」という理由で結婚したものだ。

その昔は、カネが「ない」という理由で結婚したものだ。昭和30〜40年ころと考えてもらっていい。
それがいまや、カネがないから結婚できないという。
その間にいったい何があったのか?
それは「結婚の商品化」である。
古巣リクルートは高額商品を扱う。住宅、クルマ、就職、旅行、そして結婚だ。
高額商品を購入する際は、誰でも動揺する。そこでリクルートはミドルマンとして売り手買い手の仲介業を担ってきた。
結婚をはじめ、高度経済成長期を経てありとあらゆるものが商品化されてしまった。
その流れのなかで、我々自身も消費者として飼い慣らされた。
「賢い消費者」なんて呼ばれたら、私なら穴があったら入りたいが、世間ではそうでもないらしい。
気の利いたサービスや商品を購入した様子が嬉々としてフェイスブックで公開されているのをみてもそれはあきらかである。
こんな時期に、家族の解体は進み、核家族化が進展した。
核家族とは、いうならば「消費主義家族」ということになる。
各人ばらばらに買い物を楽しむ。何かを生み出すというより、何を買うかに軸足が置かれた人間関係だ。
それぞれが日銭を稼ぎ、入り用の物を購う。江戸時代の長屋暮らしの単身者の暮らしぶりに近い。
そんな「その日暮らし」は、高度経済成長期およびその余韻期においては成り立った。
だが、本格的な停滞期(私は「成熟期」であるとみているが)においては立ち行かないと思われる。
なぜなら、稼ぎにくくなる一方、鵜の目鷹の目の収奪システムが整備され尽くしたからだ。
「寂しい人はカネがかかる」
番組でこんな発言をしたのは、かの木村剛さんだ(その後、どうなったのかな)。
ーー今日はここで力尽きた。つづきは明日にでも。しからば今日はこれにて御免。
posted by 雄峰 at 11:52| 落人日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

【160313】待機児童、老人ホーム、子育て環境など、新聞が騒いでいる社会問題とは、たいてい都市の核家族の問題である。

待機児童、老人ホーム、子育て環境など、新聞が騒いでいる社会問題とは、たいてい都市の核家族の問題である。
もっといえば、当の新聞記者が困っている案件である。
そんな記事を目にしているうちに、それらが特に問題になっていない地方在住者まで、我が事であると錯覚してしまっている。
アメリカ大統領選挙などいい例だ。
毎度、選挙前には「誰それが選ばれたら、日本は厳しい立場に置かれる」とか言われるが、そんなこと過去にあっただろうか。
せいぜいニクソンのときくらいではないか(同時代で体験はしていないが)。
オバマのときもさんざん言われたが、我々の生活にはさしたる影響はなかった。
毎回こんなものなのである。マスコミは危機感を煽って、記事を読ませようとする。彼らはそれが商売だからそれでいい。
だが、実生活者たらんとするならば、そんなものに無用な興味を持たないことだ。
アメリカ大統領選挙にいらぬ関心を持つより、自分の目の前の課題解決に全力を注ぐのがダンディである。
いい歳のおやじが余事にかまけているほうがよっぽど国難といえよう。おのれの一隅を照らすことだ。
というあたりで力尽きた。
要は「情報」に淫していると、家庭戦略を誤ると言いたいのである。
つづきはあすにでも。では、これにて御免!
posted by 雄峰 at 11:50| 落人日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

【160312】家の話ばかりしているのは、これは家庭戦略と密接に関わるからである。

家の話ばかりしているのは、これは家庭戦略と密接に関わるからである。
要は「持ち家」幻想に囚われているから戦略を誤るのである。
持ち家にこだわるのは、たいてい奥さんだ。
彼女らが「安定」を第一の価値であるとするのは、その生物的および社会的役割からして当然ともいえる。
ちなみに、女親は「子供=弱者」としてとらえるのが一般的であり、男親はそうではない傾向があるといわれる。
これが男の子の子育てをしくじる最大の要因だろう。
男の子は「弱い者」として育てられると、本当に弱くなってしまう。
こんな自己防衛を基軸として家庭戦略を立てると、「持ち家」に走るのは当然だ。
ローンに手を染めても家を買いたいという衝動にいかに打ち勝つか。その思想をいかにして持つか、これが、これから家庭運営者(むろん単身も含む)には不可欠な課題なのである。
余談だが、かくいう私も現在銀行から4000万円あまり借りている。
建物の建築費であることを考えれば住宅ローンと似ているが、その本質はまったく違う。これについてはいずれふれることになるだろう。
私が言いたいことは、一概に銀行機能を否定しているわけではないことだ。本稿を読み進める上で、いらぬ誤解を招かないためにあえて言及した次第。
つづきはまた明日にでも。しからば御免!
posted by 雄峰 at 11:50| 落人日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

【160311】年来の友人が今日の記事について感想、というより反論を寄せてきた。

年来の友人が今日の記事について感想、というより反論を寄せてきた。要は「ローンも悪くない」という内容だ。
これに反論するつもりはない。各人どう考えようと自由だからだ。
友人は気づかって、記事にコメントすることはなく、直接メールを寄こした。その配慮は尊い。
だが、他人の意見に反論するのはダンディではない。反論するなら、持論を雑誌でもブログにでも展開せよと助言しておいた(よけいなお世話だが、友人としてのよしみだ)。
木戸孝允も大久保利通も議論に手を染めなかった。坂本龍馬は「議論は暇人に任せておけ」と言い捨てた。
意見などというものはしょせん「好み」である。巨乳が好きか貧乳が好きかくらいの話だ。それをぶつけ合うという不毛な営みは、やはり暇人に任せておくしかない。
したがって、私も議論しない方針だ。反論されてもリアクションしないことにしている。
だが、まだ未熟なので、対面で反論されると、ついやり返してしまう。
抜いた刀の血を拭い、鞘に収めるとき、いつも慚愧の念にかられる。また無用な殺生をしてしまったと。
posted by 雄峰 at 11:49| 落人日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

【160311】「持ち家」とはいうが、現金一撃購入かローンかでは雲泥の差だ。

「持ち家」とはいうが、現金一撃購入かローンかでは雲泥の差だ。
現金一撃購入がいちばんであることは当然として、つぎにくるのは賃貸だろう。ローン中では本来「持ち家」というべきではないのではないか。
田中角栄は大蔵大臣のときに「銀行はどんどん住宅ローンを貸し出せ。そうすれば借り主は保守的になるので、自民党に有利だ」と息巻いたそうだ。
発言の真偽は定かではないが、ローンが「精神的拘束」であることは、エスタブリッシュメントの間では当然とされていたようである。
それに先駆ける昭和30年ころ、「お金の神様」とよばれた作家・邱永漢は銀行から融資を受けて青山あたりの不動産をいくつも買った。それらは急激に値上がりして、彼は大金持ちになった。
だが、邱さんが融資を受けて不動産を購入するのをみた人たちは「何やってんだ邱さん、金借りて不動産買うやつがあるか?」という反応であったという。
かくも先見の明がある人とは、同時代の常識人にとって理解不能な行動をとるものなのだ。
懇意にしている不動産エージェントは「皆さん、目一杯借りられるだけ借りて、目一杯買えるだけ高い物件を購入する」と言っていた。
そんなことなら、「震度1」程度の生活衝撃で返済計画は破綻してしまうのではないかと危惧する。だが、彼らにはそんなこと、どこ吹く風らしい。
ちなみにそのエージェント自身は、中古マンションを半金ほどローンを組んで購入したとのことだ。プロは手堅いのだ。
(前職なので感謝しているが)リクルートの不動産メディアは、「今が買い時!」と、年がら年中がなり立てる。
そんなのに引っかかる人なんているのだろうかと思いきや、けっこういるのだと驚かされる。
なんて、持ち家の話をしていたら、また「核家族から拡大家族へ」というテーマが横道にそれてしまった。
つづきはまた明日にでも、ということで今日はこれにて御免!
posted by 雄峰 at 11:48| 落人日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

【160310】いま七十歳前後の人びとが「親」になった時代だから、今から30〜40年前のことだ。

いま七十歳前後の人びとが「親」になった時代だから、今から30〜40年前のことだ。
彼らの戦略は「いかに核家族を営むか」にあった。
経済規模が拡大し、社会の流動性が高まるなか、それはにわかに実現可能になった新しい家族形態であった。
当時はまだ、長男でありながら郷里を離れることは白眼視された時代であった。
私の恩師は「東大に合格したら、東京に出てもいい」と親に言われた。彼は奮起して東大に合格して、故郷を捨てた。その背徳感に、彼はいまださいなまれるという。
そんな時代もすでに遠い昔の話。こんにち、核家族はすっかり「標準」となった。
結婚すると気に入った街に家を買い、何十年というローンを背負い込む。これで「持ち家」のあるじだ。
おっちょこちょいの私は気づけば5軒の家(とはいえ、中古マンションなどほそぼそ)を持つ身となったが、持ち家ゼロだった頃から、「持ち家」にマルをつけていた。
なぜなら、親の家には子々孫々住むものであり、親の家は私の「持ち家」であるとみなしていたからである(当時から、そんな偏屈者であった)。
金融業者がいまだに「持ち家」が資産力=返済力であるとしているのは笑止千万で、「貴殿の石高や如何に?」などと問うているのと変わらない時代錯誤ぶりだ。
ーーなどと悪態をついているうちにくたびれてきた。
「核家族の罠と拡大家族戦略」というテーマで明日も続けるとして、きょうはこれでおしまいです!
posted by 雄峰 at 11:46| 落人日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

【160309】以前やっていたラジオ番組の設定リスナーは「ラブホでベッドメイキングをする50男」であった。

以前やっていたラジオ番組の設定リスナーは「ラブホでベッドメイキングをする50男」であった。
「みじめな人生ですが、番組を聴いていると気が晴れます!」
こんな熱烈なファンメールをもらって、私は出演者やスタッフと共有し、ラブホ氏を激励する番組にしていこうと伝えたのだ。
この方針は難易度が高かったが正しかった。ラブホ氏を想定することで、番組はどんどん先鋭化していったからである。
だが、一方において、このときの「成功体験」がその後のとらわれとなっていた。
いま書き上げた原稿がどこか散漫であるのは、読者対象が明確ではなかったからである。
ラブホ氏は読者とはならないであろう。では、いったい誰なのかが判然としなかった。
それが、このたびあきらかになった。ひとことで言えば「政治家」である。
私は政治家を尊敬している。選挙を一度やってみて、大いにそう思った。
マスコミは反撃してこないからと、下劣な攻撃を行うが、彼らはみな、それなりに志を胸に活動する得難い人びとである。
当然、なかにはいろんな人もいるだろうが、世間一般より程度はいいと私は思う。
彼らのような重責と重圧を受けた強き「弱者」の力になりたい。そう心が定まったとたん、文章に魂が宿った。
何を語るかではなく、誰が語るかとはよくいわれるが、私の場合は、何を語るかではなく、「誰に」語るかだったのである。
posted by 雄峰 at 11:45| 落人日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

【160308】男女の性差が如実に出るのは、落ち込んでいる場面においてではなかろうか。

男女の性差が如実に出るのは、落ち込んでいる場面においてではなかろうか。
世の女性は「うん、わかるわかる。ほんとにひどいよね…」と共感されるのがよいらしい。
私はこれが苦手で、(めったにないが)女性から相談されると、抜本的な解決策を考案し、それをごりごり押してしまう。
女心がわかっていないので、じつにモテない。
私を含む男性陣のおおかたは落ち込んでいるとき、「うん、わかるわかる」と共感されるのは嫌だと感じることだろう。なぜなら、よけい惨めになるからだ。
「そんなの、悩みのうちに入らん。根性が足りん!」と一喝してくれたほうが気が晴れるというものだ。
飲み屋のママさんも「なぁに言ってるのよ」と一蹴してくれるので、世の男たちは心やすらぐ。
こんな性差は厳然と存在するし、そうであるから人の世は面白い。
ところが、最近はアカデミズムの世界でも、性差が語られるのはタブーとされつつあるらしい。
先日関わった心理学実験では、性差が顕著に出ていたのに、それは黙殺された。
アカデミズムすら圧殺してしまう性差否定論はもはやイデオロギーだ。社会を歪める要素として定着していくのだろう。
あらかじめ、この歪みを是正するメガネをかけながら世の中をみなければ、物事の本質はみえなくなる。心したい。
posted by 雄峰 at 11:44| 落人日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

【160307】いつの頃からか、甘い匂いを嗅ぐことが多くなった。春先、梅がぷんと匂うように、それは唐突に訪れる。

いつの頃からか、甘い匂いを嗅ぐことが多くなった。春先、梅がぷんと匂うように、それは唐突に訪れる。
読んでいる文庫本からかコピー用紙からか、それともクッキーのかけらか、はたまたスマホか。そのたびに鼻を近づけてみるのだが、出どころは今もってわからない。
数日前、坊やもその匂いをキャッチして、「お菓子はどこ?」と尋ねてきた。どうやら私だけに匂うわけではないらしい。
ひょっとしたら、出どころは私ではないか、そんな気もしてきた(加齢臭の一種か?)。
この現象が現れた時期と断酒した時期が符合している。
もう一つ思い当たるのが、他人の加齢臭が気にならなくなったことだ。これも同じ時期である。
となると、この甘い匂いはーーあっ、いまも漂ったーーは、こういうことかもしれない。
他者の嫌なところは、自分の欠点を映し出す。他人の加齢臭は、自分の加齢臭に他ならず、それが断酒によって無臭化していった。
その結果、得られたのが、この甘い匂いなのではないか。
そういえば、この匂いは娘(0歳)の匂いに近い。生まれたての子供はいい匂いがする。
となると、この匂いは加齢臭どころか「若返り臭」なのかもしれない。
むろん確証は持てないが、現段階では、それがいちばん納得できる見立てである。
posted by 雄峰 at 11:44| 落人日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

【160306】坊や(4歳)とふたり旅をしているとよく驚かれる。世間の男の子はまだお母さんべったりだからだ。

坊や(4歳)とふたり旅をしているとよく驚かれる。世間の男の子はまだお母さんべったりだからだ。
坊やは週末になると、私の仕事場に泊まりにくるし、月に一度程度ふたり旅をしている。
今日は、坊やと京都貸し出し前の最後の宿泊。何もないがらんとした部屋に布団一枚でくるまって寝息を立てている。
坊やが私になついている理由はただひとつ。たっぷり面倒をみてきたからだ。これに尽きる。
赤ちゃんのころからいまに至るまで、膨大な時間をかけて世話を焼いている。イクメンとかそういうレベルではなくむしろ乳母に近い。
さらには、私と気質がとてもよく似ていて、ウマが合うということも大きい。とはいえ、やはり時間と手間をかけてきたことにまさるものはない。まさに丹精してきたといえる。
まもなく5歳になるので、だいぶ言葉も長けてきた。最近では私にツッコミを入れるようになってきた。
そんなことをやる人は後にも先にも坊やひとりで、私自身の新境地だ。これを機会に「利休(するどさを休める)」の境地に達することができるかな。
子供の面倒を母親任せにしている父親が多いかもしれないが、それはもったいない。かけがいのない「親友」を持てるかもしれないからだ。
posted by 雄峰 at 11:43| 落人日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

【160305】政治には興味がない。

政治には興味がない。
選挙に出ていながら、何という言い草かと思われるかもしれない。
だが矛盾はない。私はプレイヤーとしての政治、つまり政策立案及びその実現には興味があるし、今後も携わりたいと考えている。
だが、オーディエンスとしての政治、つまりテレビや新聞で政局や選挙結果みるような「政治」には興味がない。
ささやかながら経験してみて、現実の政治とマスコミで語られている「政治」には、たいへんな隔たりがある(家内も参議院議員の秘書をしていたが、聞けば国政のほうがその隔たりは大きいようである)。
だから、マスコミがつくった虚構を土台にして、喧々囂々することの不毛さはよくわかっているつもりだ。
政治について見解を述べることは一見インテリぽいが、そんなことは、釣りやプロレスについて語るのと変わらない。
いや、そんなことを言っては、釣りやプロレスに失礼かもしれない。
ファンの言動という点では、むしろプロレスファンのほうがよっぽどダンディだ。
彼らのほうがプレイヤーに対して謙虚だし、偉そうなことを言わない。さらには実相に近い(ように思える)。
その点、政治好きは自分のことを棚に上げて言いたい放題。その無様さはみていてつらくなる。
我が親父もその傾向が強かった。同居する孫への悪影響を考慮して、お茶の間政治談義は坊やの前では遠慮されたしと要請した。
親父は恥ずかしそうにして、鳴りを潜めてくれた。
posted by 雄峰 at 11:42| 落人日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

【160304】もともと涙もろいが、最近激化してきた。

もともと涙もろいが、最近激化してきた。
難病の子供を取材したドキュメンタリーをみていたら号泣してしまい、仕事にならなくなった。
こんなことが増えてきたのは、歳のせいだろうか。
司馬遼太郎は、40代になると感情のタガが弛んできたと、ご自身の実感を語っていだ。
かくも心身は変質するものだが、往々にして無自覚なものである。
老害とよばれるものの原因は、こうした経年変化の認識欠如から引き起こされることを思えば、こうした変化にはつねに鋭敏でありたいものだ。
五木寛之は車線をトレースできなくなっている自分を発見し、運転免許を返上した。さすがと言うほかない。
おのれの心身を「鏡」映すように捉えるためにいちばんいいのが、周りから指摘してもらうことだろう。
だが、私は押し出しが強いし弁も立つ。私に忠告するような無謀な人はほとんどいない(そもそも忠告という行為が下品でもあるが)。
だが、それでは成長のための糸口が得られないので、信頼できる友人には「1点500円で忠告して欲しい」と依頼したこともある。
ただ、いまはこの日記がその役割を果たしつつある。
まもなく始めて半年になる。日々綴って、ときどき読み返すと、我ながら変であると思うようになってきた。これは、ここ数年で最大の収穫だ。
posted by 雄峰 at 11:41| 落人日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

【160303】過日、メンタルを患ったという人から「盛池さんは鈍感だし、回復力もあるから、心の病気になりませんよ」と言われて、ほっとした。

過日、メンタルを患ったという人から「盛池さんは鈍感だし、回復力もあるから、心の病気になりませんよ」と言われて、ほっとした。
鬱病になるのではないかと、しょっちゅう予防策を調べていたからである。
鈍感かーー自分ではそう思っていなかったので新鮮だ。そうみている人もけっこういるのだろうな。じっさいそうなのかもしれない。新しい切り口を獲得できて刺激になった。
もう一つの「回復力」については自覚がある。
「回復力」とは「物語をつくる力」ではないかと思う。
私はいかなる苦境に陥ろうと、自分が主人公の物語を編み出すことができる。都合よく状況を解釈するのだ。
どんな物語にも、主人公が苦境に陥ることがある。いうならば「見せ場」だ。
だから、私にとって「苦境=見せ場」なので、むしろハッスルする(安逸を貪っているときのほうが元気がないくらいだ)。
断酒にしても、安逸のなかに無理やりつくった見せ場といってもいい。こんなたちだから、打たれ強い。打たれ強さが回復力というものなのかもしれない。
さっきの件でも、「鈍感」と言われれば、傷ついて落ち込む人もけっこういるのではないかと思うが、私はそうではない。そこに可能性を見出す。
今まで気づかなかった「鈍感な私」を発見できた興奮のほうが大きい。これは虚勢ではない。そういう思考体質なのだ。
かくも人はそれぞれ違う。
私はこの場で自分の「正しさ」を主張しているのではない。むしろ、私の言論は正しくないのだろう。
だが、こんな奇矯者の言論も面白いではないか。私ならそう思う。そんな心に余裕のある人とこの場を共有したい。
心境としては落語家が近い。正装して真顔で馬鹿話をしている。その存在自体が変なのだ。
だから、真顔で話しているからと、真に受けてムキにならないでくださいね。
posted by 雄峰 at 11:40| 落人日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

【160302】「ストレスフリー」という同調圧力が蔓延中である。

「ストレスフリー」という同調圧力が蔓延中である。「ストレス=悪」という尺度ですべてを裁こうというファシズムといってもいい。
たとえばこんな感じだ。
次郎冠者が100日で20キロダイエットの荒行に取り組む。
こういうとき、「無理しないでね」と声がけする輩がいる。
これは「圧力」としてはきわめてソフトだからまだいい。だが、そう言われている奮起者の気合いに水を差す行為だということは認識されてもいいだろう。
たちが悪いものになると、指導者(=この場合、私)に対して批判と攻撃を加えてくる。
「そんなひどいことさせて、ひどい奴だ」と言わんばかりに。
荒行は当人が望んだことだ。私が首根っこつかんでやらせているわけではない。
だが、ここぞとばかりに同調圧力屋が群がり、「いい人ポイント」を稼ごうとする。
彼らはたいてい不遇をかこっているから、愛情(賞賛や感謝)を獲得しようとしているのであろうが、自覚はなく「善人」を演じている。
大事を成す者は、人生の折々で奮起するものだ。そんなとき、私なら激励する。
「100日で20キロダイエット? がんばりなよ。せっかくなら1ヶ月でやりなよ」と。
他者の奮起に水を差してはならない。ストレスフリー化する社会は、足を引っ張りあうイヤな社会だ。
posted by 雄峰 at 11:39| 落人日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

【160301】20キロ痩せた。黄金色のう○こが出た。小金が入った。そんな弟子たちから喜びの声が届く。

20キロ痩せた。黄金色のう○こが出た。小金が入った。そんな弟子たちから喜びの声が届く。
たしかに、私のやり方を実践していれば、そんな「余得」にあずかることもできるだろう。
だが、そのたびに私の眉は曇る。私は何も快便屋や減量家を育てているわけではないからだ。
元気溌剌な心身を社会にどう役立てるかを考え、それを実現することを私は期待している。
社会を変革しようとするのなら、まずは自己を変革する。これは私の言葉ではない。いにしえより、よく言い習わされてきた言葉だ。
自分を変革できてはじめて社会を変革する権利が与えられるといってもいい。
自分のこともろくにできないくせに、世間のことをあれこれ言うのはダンディではない。
まずはおのれのダンディズムを確立してから、世間にダンディズムを求めるのが筋だ。
もっとも、そのときには、世間のほうから、「どうしたら、いいですか?」と尋ねてくることだろう。
そうなるまでは、おのれに磨きをかけながら、時節を待つほかない。
西郷隆盛や大久保利通が注力したのは、若輩の軽挙を抑え、現実的な準備を淡々と進めることだった。
痩せても、黄金色のう○こが出ても、人生の本質を見失っては元も子もない。
たとえ、デブでも便秘でも、「大事」に向けて日々燃焼する者たちが英雄である。
減量や便通などにかまけている場合ではない。
posted by 雄峰 at 11:38| 落人日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

【160229】今年から手帳を持たなくなった。

今年から手帳を持たなくなった。予定はスマホのメモ帳に記している。これで丸2ヶ月経つが支障はない。
支障がないどころか、よけいな用事を組まなくなるという恩恵をこうむった。忙しい人は、手帳を持たないといいかもしれない。
高校時代、はじめて手帳を持ったが、帰宅部の私に記すような予定などほとんどない。
空白だらけではかっこうがつかないので、無理して用事を書き込んだ。
だが、それは「用事」というより「余事」というべきもので、このときから私の迷走が始まったといっていい。無為に出歩き、いらぬことに興味を持つようになったのである。
「空欄」というものは怖い。埋めようという衝動がつい発動してしまうからだ。
これは学校のテストの習い性なのだろうか、空欄は埋めなければならないという強迫に駆られるものだ。
私はこれを逆手にとって、学生相手に講義するときは、解答欄を多用したレジュメを配る。
空欄を埋めようと、真剣に話に耳を傾けるので、私の講義で居眠りする人はいない。空欄の威力を思い知る。
posted by 雄峰 at 11:38| 落人日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

【160228】司馬遼太郎は偏食だった。魚嫌いで、とくに蟹にはいっさい手をつけない。ニンニクの臭いも嫌った。

司馬遼太郎は偏食だった。魚嫌いで、とくに蟹にはいっさい手をつけない。ニンニクの臭いも嫌った。
好物は油揚げで、厚揚げや薄揚げは煮ても焼いてもよく食べたそうだ。
ちなみに私は偏食はない。何でもよく食べる。
一般的には偏食はないほうがいいというが、はたしてそうだろうか。
たしかにあれこれ食うことを楽しみたいのなら、偏食でないほうがいいだろう。
だが、必要な栄養とエネルギーを得ることが目的なら、身体が欲する物を摂取するほうがいいような気がする。
イヌイットに「バランスよくモヤシも食べなさい」と言っても嫌がるだろう(よく知りませんが)。
いつだか「健康のために1日30品目食べましょう」とテレビでいっていた。
そんなことを間に受けてやっていたら、デブるし、1日が食うだけで費やされてしまう。
こんなメッセージはしょせん広告なので相手にしなければいいのだが、「健康」というものについては考えさせられだ。
戦後の価値観は「カネ・学歴・健康」の3点に集約されるであろう。
この3つを血眼になって求めているが、それらを得たところで活用できている人は少ないように思う。
いくら異常に健康でも、燃焼する対象がなければ無用の長物だ。その程度の健康に懸命になるより、好きなもので身体をやしない、自分を活用する道を探ったほうがよいのではないか。
一流のアスリートや芸術家に偏食家が多いのは、用途もない健康に懸命になるより、自分をハッスルさせることを優先しているということだろう。
たしかに健康第一ではあるが、それを上回る価値を持っていたいものだ。
posted by 雄峰 at 11:37| 落人日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

【160227】泣いたら、体調がよくなった。

泣いたら、体調がよくなった。
『利休にたずねよ』を購入すること4度目、読み返すこと5度目。
利休といえば、行儀のいい爺様がお茶をズズッとすする。そんなイメージがあるが、さにあらず。
じっさいは大柄の絶倫男で、状況次第では天下をうかがうような豪傑であった。
だが、そんな利休の実相が描かれている読み物はじつに少なく、本書が刊行されて一読したときに、私の利休像は「山本利休」として落ち着いた。
フィクションなのであろうが、物語の終盤、若き利休が女と逃亡するシーンは何度読んでも心が震える(ここで泣いてしまう)。
この狂気の行動こそ、茶の湯者のみならず、あらゆる芸術家の本領といえるだろう。
ただし、その狂気を現実社会のどこに位置づけられるかは、当人の「政治力」次第だ。
その点、利休は大政治家だった。
茶の湯という芸術レイヤーを新たに創出し、秀吉に代表される武家社会の上に置こうとした。彼は「革命家」だったのである。
秀吉はそれを恐怖して切腹させたのではないか。切腹は一介の茶人に与える沙汰ではない。利休は武士とみられていたのである。
利休の叛骨を現代に引き継いでいるものは何だろうか。少なくとも茶道ではなさそうだ。
ちなみに映画版はひどかった。
秀吉がたんなるブラック店長程度の悪役に描かれていたからだ。そのぶん、利休がちんけになってしまった。
原作どおり、天下人は天下人然として描いて欲しかったな。
posted by 雄峰 at 11:36| 落人日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

【160226】昔なら、この風邪で死んでいたことだろう。

昔なら、この風邪で死んでいたことだろう。
大正時代の平均寿命は40歳そこそこ。50歳を超えたのは戦後になってからだ。
「人生50年」という認識で生きるとはどんな心境だろうか。
60歳まで生きられたら10年のボーナス、70歳まで生きられたら20年のボーナスと感じたのではないか。
よく戦地から生還した人が「残りの人生は余得」というような発言をするが、それが近いのだろう。
となると、「人生80年時代」は不幸なことかもしれない。もし60歳で死んだら20年損した気持ちになるからだ。
そう考えると、「人生は50年」ととらえ、そこでいったん人生を完結させようとする死生観を持つことは(たとえその後長生きしたとしても)、濃密でお得な人生を送るための要諦ではないかとも思う。
自殺者は「49歳男性」が突出して多いという。これはあるいはこのあたりの心情の表れなのかもしれない。
posted by 雄峰 at 11:35| 落人日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

【160225】また風邪をひいた。

また風邪をひいた。昨夜から風邪の症状が現れている。今年に入って、ずっとこんな調子だ。
学生時代並みに痩せて寒さに弱くなったせいだろうか。それとも、坊やが幼稚園に通うようになり、風邪をうつされてくるようになったせいか。はたまた、夫婦仲が良好なので気が緩んだのか。
だが、これだけ風邪を連発するのは、もはやこうした事情や免疫力云々の問題ではないような気がする。天から何かを試されているのではないか。
私は気儘人なので、こんなときいくらでも療養できる。いつもなら、できるだけ睡眠をとるなどして身体を休めたことだろう。
立て続く風邪は、こういう環境への警鐘をならしているのではなかろうか。
世の中年おやじはこんなことをしていられない。今朝のような雪の朝も、背広を着て風邪薬を飲んで、通勤電車に揺られて出勤する。私は20年近くそういう暮らしから遠ざかっている。
日常生活の慢性的な弛緩がこうした状況をもたらしているのではないか。そう考え、今回はサラリーマンのように風邪に向き合うことにした。
「勤務」時間中は寝ないで、ふだん通り仕事する。日ごろ風邪薬はまったく飲まないが、つらいようなら服用して「勤務」してみよう。
こうしたらどうなるのだろうか。経過を観察して、「天の意思」を探ってみたい。
posted by 雄峰 at 11:34| 落人日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

【160224】「梅を観にこないか」と、ある大学教授に誘われて、お宅にお邪魔した。もう十年も前のことだ。

「梅を観にこないか」と、ある大学教授に誘われて、お宅にお邪魔した。もう十年も前のことだ。
神奈川県下の海沿いの小駅に降り立ち、里山を歩きながら梅を愛でた。
その道すがら、「あれが村上春樹の家だよ」と指差された。それは、巨大なガレージのような、やや無粋な印象の建物だった。
当時はまだ村上春樹を読んでいなかった。チャラいバブル作家くらいに思っていたくらいだから興味はわかなかったのだ。
むろん今はちがう。全作品を読破中の熱烈なファンだ。
さて、村上春樹がその地を選んだのはなぜか。
それは「走れる」からではなかろうか。エッセイ『走ることについて語るとき、僕が語ること』によると、家の周りには走るのにいいコースがあり、海沿いではトライアスロンの自転車の練習もできるという。
人はどこで暮らすかについて、それぞれ優先順位を持っている。私の場合は「走れる」ことが最優先の条件だ。
高尾にある仕事場近くのコースは最高だ。これにまさるコースはなかなかない。山梨の家の近くのコースも雄大で気に入っている。
京都のマンションを購入するときも、目の前の高野川沿いを走れることが決め手になった。
九段下のマンションはジョギング習慣以前に購入したが、そこから皇居は走って5分程度だ(一度だけ一周したことがある)。
村上春樹も東京の家は神宮外苑の近くにあって、走り始めたのはその周回コースだったという。
山歩き、ジョギング、ラジオ体操、テニス、散歩。不動産情報サービスは、こうした習慣を切り口にして紹介をしてみてはどうだろうかーー庭先の梅の花を眺めていたら、こんなことをつらつらと思った。
posted by 雄峰 at 11:34| 落人日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

【160223】中1のとき、国立駅の事務室で駅員たちにこっぴどくやられて、おいおい泣かされたことがある。

中1のとき、国立駅の事務室で駅員たちにこっぴどくやられて、おいおい泣かされたことがある。
私の「罪状」は気づかないまま1週間ほど通学定期を使っていたことである。
改札口で毎日ふつうに見せていたので、1週間も気づかぬ駅員のほうに非がある。
だが、当時は国鉄末期。サングラスかけてガムを噛んでいるようなガラの悪い駅員はざらにいた。彼らにそんなことを言っても通じない。奴らは悪意なき少年を執拗にいたぶり続けた。
いきなり犯罪者扱いをしてきたという点では、ノリは警察と変わらない。だが、こんな話は今や昔。今のJRにはこんなチンピラ社員はいない。往時を知るものからすれば、こちらが恐縮するほど物腰が丁寧だ。
「やさしい化」はありとあらゆる場面で進行している。警察ですら、最近はマイルドになってきている。
だが、この「やさしい化」と鬱病をはじめとしたメンタルの問題は同期しているのではないか。
気功で鬱病を治すという小池義孝氏の動画をみていてそう思った。
心も子供のころからゆっくり負荷をかけながら強くしていけばしなやかで強いものになる。
だが、そういう鍛錬をしないまま社会人になって、いきなり大きな負荷をかけられたらボキッと折れることになる。
だから「やさしい」時代においては、自分で意識的に鍛錬する必要がある。なぜなら、タフな機会はいくらでも避けられるからだ。
posted by 雄峰 at 11:33| 落人日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

【160222】横山光輝のマンガ版『史記』(全15巻)を通読した。

横山光輝のマンガ版『史記』(全15巻)を通読した。
数々の英雄俊傑が登場するが、人物を評価する際にもっとも使われていた形容表現は「勇敢」や「度胸」などではなかった。それはなんと「用心深い」であった。
用心深いなどといえば、小心者の態度かと思われがちだがそうではない。英雄のもっとも重要な資質としてとらえられているのである。
逆を考えればわかりやすい。用心深いの対語は「無謀」である。無謀な男についていこうなどという者はいないだろう。
ところが、昨今の価値観では「用心深い」などという資質は尊ばれない。ノリが悪いくらいに思われていて、むしろ「無謀」くらいがよきものとされているようですらある。
平和な時代が長く続いているせいだろうか。平時においては、多少無謀でも命にかかわることはない。
それどころか、そんな蛮勇が勇敢だと評価されてしまうくらいだ。
平時における価値観と乱世における価値観は正反対になってしまうから面白い。
posted by 雄峰 at 11:32| 落人日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

【160221】この1週間、私としては異常な頻度で出歩き面会している。

この1週間、私としては異常な頻度で出歩き面会している。
先週木曜日は幼稚園のパパ友宅で、家族ぐるみの餃子パーティ。
翌金曜日夕刻、近所に住む旧友が仕事場を訪ねてきて懇談。
土曜日には、御山人師との「百社巡礼」収録とUst放送。
月曜日はいきなり召集され、ラジオ仲間と新宿で面会。
水曜日は税理士と打ち合わせで都心へ。戻ってからそのまま京都別荘へ行き、昨日帰京。
そして今日、司馬遼太郎「菜の花忌」参加で日比谷公会堂へ。
「面会しない出歩かない」と宣言しておきながら、この体たらくだ。
だが、日常が破綻していないのは二日酔いがないおかげだ。
以前のように飲んでいたら、この間、3度か4度二日酔いを発して、みるも無惨な様相を呈していたことだろう。
二日酔いになりやくすなったのは30代に入ってからだ。そしてそれは歳とともにひどくなっていった。
こういう変化は漸進するので、無自覚なまま進行してしまう。
肥満、怠惰、感情制御、遊び癖、浪費癖。これらも同様だ。気づいたら元いた浜辺からだいぶ漂流しているものである。
「漂流」度合いをときどき測定できたらいいなと思う。どれだけ劣化したか客観的に測定し、本来あるべきところに戻してくれる。そんなコーチングなんてあったら繁盛するんじゃないかな。
posted by 雄峰 at 11:31| 落人日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

【160220】坂本龍馬は手帳にこう書き記し、日夜自分を奮い立たせた。

坂本龍馬は手帳にこう書き記し、日夜自分を奮い立たせた。
「薄情の道、不人情の道、わするることなかれ」
「衆人みな善をなさば我れ独り悪を為せ。天下のこ とみなしかり」
えっ、あの龍馬がなぜ?ーーと思われることだろう。
心優しい竜馬は非情になれない。大事を成すには非情さが必要とされる場面は多々ある。
そんな現実に対処するために、つねに自分を戒めていたのである。
一方、私は非情なので、それが言動に出ないよう、このスマホに自分に向けた警句をいくつも書き記し、目にするようにしている。
そういうかたちで自戒しなければ、つい地金が出てしまうからである。
やさしい男は非情であろうと心がけ、非情な男はやさしくあろうと心がける。
こうしてバランスを常日頃とろうとしなければ、持ち前の気質が暴走してしまう。
やさしい男はいよいよヘタレになり、きつい男はいっそう嫌なやつになってしまう。
素のままの自分を放置すれば、野生化してしまう。対極を示すことで、おのれもアウフヘーベンできるのである。
posted by 雄峰 at 11:30| 落人日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

【160219】若いころは自信がなかったから、やたら手を広げた。

若いころは自信がなかったから、やたら手を広げた。
株式会社2つ、NPO2つ、政治団体2つ、一般社団法人1つ。これだけの法人を清算してきた。
根拠のない自信はときとしてエネルギーになるが、一方で数々の屍を生みだす。
当時、GEの社長(ジャック・ウェルチだったかな?)の言葉として「選択と集中」が喧伝された。
優位性の高い分野に、資本を集中投下せよということだが、私は怖くてできなかった。
リスクを軽減しようと、手を広げた。一つの事業がこけても、他が補ってくれる。そんな皮算用はそれなりに実効性があった。
だが、そんな人生を継続して、「領土」を徐々に増やしたところで何の意味があるのか。最近そんなことを思う。
愚かな乾坤一擲の勝負はしてきたが、おのれの才覚を世に問うという切ない営みで我が身を燃焼してみたい。どこまでできるか挑んでみたい。
さんざん損得勘定して、これまでの人生を編集してきた。そんな「出来合い」の日常に風穴を開けたい。そんなことを思うのは、年齢のせいだろうか。
死生観とは、残り時間を意識することで得られるのだろう。永遠に「いま」が継続すると思っていたら、行動は変わらない。
posted by 雄峰 at 11:30| 落人日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

【160218】夏目漱石は「京都は陰気で嫌いだ」といった。

夏目漱石は「京都は陰気で嫌いだ」といった。たしかに、むかしの写真をみると「陰気」だ。もっとも、その「陰気」が京都の風格であることを漱石は踏まえていることはいうまでもない。
いまの京都はすっかり「陰気」を失った。夜放り出されたら、弘前や松山と区別がつかないだろう。
たしかに随所に京都の痕跡はあるが、総体としての京都はもはや失われたのではないか。
かろうじて「京都」が残っているのは、洛北の岩倉あたりだ。かの地の民家はいまのうちにみておいたほうがいい。三十三間堂は300年後もあるだろうが、岩倉の京民家は確実になくなっているからだ。
先に「夜放り出されたら」と書いたのは、昼間なら比叡山がみえるからである。京都は比叡山との関係でとらえるべきだと私は考える。
政治都市に威圧を加える宗教勢力。この緊張感が王城の歴史を築いてきたからだ。
だから、京都に降り立ったら、まずは御所におもむき、まず比叡山を視認するのがいい。
ピンポイントで寺社仏閣をみても意味がない。それでは、歴史博物館で土器の破片を眺めるようなものだ。
わずかな期間であったが、京都住まいのいちばん収穫はこの一点に尽きる。そう、京都の緊張感の在りかだ。
このたび京都宅は貸し出すことにしたが、いずれまた戻ってきたい。
街角にはもはや見るべきものは失われたが「陰気」は感じるものだ。「陰気」に反応できる心身を維持したい。
posted by 雄峰 at 11:29| 落人日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

【160217】子供はご近所さんというだけで友達になれる。だが、長じるにつれ、そうもいかなくなる。

子供はご近所さんというだけで友達になれる。だが、長じるにつれ、そうもいかなくなる。
小学校高学年にもなると、趣味や指向性が合わなければ友達づきあいはできなくなるものだ。
それが自我の形成であり、自分の居場所を的確に見つけられることは、人間としての「発達」の証といえる。
とはいえ、ある程度誰とでもつきあえる能力は同時に身につけなければならない。
村上春樹も、二十代で店をやっていて、そこで人づきあいの量稽古を行った上で、「もうあれで十分でしょう」と回想している。
私も同じ心境だ。もはや十分鍛錬した。今後は、無理して人づきあいしない。ウマの合う人とだけささやかに交友していきたい。
どんな人とウマが合うのかはわかっている。それは「生産者」である。ともに創造することを分かち合える関係でなければ関係がもたない。
対極は「消費者」といえよう。飲み食い、旅、スポーツ。こういうものの消費をともに楽しむ。そんなつきあいは願い下げだ。これらは、子供とだけにする。
いずれ「一周」して、またいろんな人と交流したくなるときも来るかもしれない。そのときはそのとき。
当面は家族とごく少数の「生産者」との人間関係にとどめておきたいと考えている。
posted by 雄峰 at 11:28| 落人日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

【160216】京都別荘の借り手が決まった。

京都別荘の借り手が決まった。
気に入っていたので、貸すのを渋ってきたが、欲張っているとろくなことにならない。
執着を手放すことで、運気は入ってくるものだ。ツキを呼び込むために先に手放すことは、人生達者の間ではよく行われる。
執着とは、もはや「あるべきではない」にもかかわらず、強引に成立させている状態をさす。
30歳過ぎの息子の世話をする母親などその最たるものといえよう。
そんな無理な力を割いていると、本分に集中できなくなる。行動力も翳るからツキも落ちる。
運気を高めたいのであれば、この逆を張ればいい。
積極的に「本来の状態」にしていくのである。自然秩序へ貢献したぶん、そこから恩恵を受けることができるからだ。
たしかに、若いころは執着が原動力になる。どうしても欲しい、どうしても手放したくない。そんな我がままに神が微笑むこともある。
だが、それもせいぜい35歳までだ。それ以降は、握り締めれば握り締めるほど、天は情け容赦なく引き離してゆく。だったら、先手を打って捨てることだ。
その点、別荘を手放したのはやや遅きに失したと反省している。もう2年早くてもよかった。
かくも執着というものは、船底の牡蠣殻のようにへばりついて、動きを鈍らせる。日頃から、おのれを監視し、付着に目を光らせるほかない。
posted by 雄峰 at 11:27| 落人日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

【160215】狐でも憑いたのか、あぶらげばかり食っている。

狐でも憑いたのか、あぶらげばかり食っている。
高尾山麓には「するさしの豆腐」という店がある。
旧道をしばらく入り込まなければならないので、なかなか出向くことはないのだが、梅をみるついでに今日行ってきた。
あぶらげ2枚とおぼろ豆腐、そしておからドーナツ。
あぶらげは鍋にもいい。最近鶏肉のかわりにあぶらげをよく入れる。
炙って、ネギやら生姜やらといっしょに食ってもうまいし、生のままでも風味がいい。
主食にもなるしおやつにもなる。こんな重宝なものだったとは思わなかった。
司馬遼太郎先生もトンビもキツネも好きなあぶらげ。餅とともに多機能多用途の優れものである。
posted by 雄峰 at 11:26| 落人日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

【160214】旧友が転職を考えている。このままでは泥舟なので、脱出しなければならないという。

旧友が転職を考えている。このままでは泥舟なので、脱出しなければならないという。
気持ちはわかるが、我々は五十手前の中年男である。軽挙は禁物だ。
私は決断にあたって2つの視座を示した。
1 その選択は「ダンディ」か?
勤務先が先々やばそうだから、次を見つけてから辞める。これでは学生と変わらない。
生活のためには収入は必要であるが、それ以上にだいじなことは、息子によき背中をみせることだ。
目先の損得で行動して、多少得したころで、その行動が息子に悪影響を与えてしまっては元も子もない。
2 その選択は「捨て身」か?
働き盛りは過ぎた。やり甲斐や収入などを求めることは、もはや「すけべ心」だと心得るべきだろう。
私はいざともなれば明光義塾(なんでもいいのだが)に雇ってもらい、大学生とともに塾講師をやろうと決めている。
明光義塾が雇ってくれなければ、清掃夫だろうと期間工だろうとやる。
そんな気魄あふれる勇姿こそ、子供たちにとっての何よりの励みになるはずだ。
小金に任せて飲み食いに興じている父親の姿をみて、子供は奮い起つだろうか。いつの日か決定的に軽蔑されるか、子供が同じ道を歩んで自滅するかのどちらかである。
武士は食わねど高楊枝。
友よ、苦しいときこそダンディに生きようぜ。
posted by 雄峰 at 11:25| 落人日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

【160213】緑内障の目薬には副作用があった。

緑内障の目薬には副作用があった。このことを点眼し始めて2年経った今日になってはじめて知った。
ちなみに副作用とは、まつ毛が長くなることと目にクマができるということの2点である。
こんな育毛効果(?)があるので、点眼は洗顔が必要だったのである。これを知らずにいたので、もともと長いまつ毛が最近メガネに触れるほど長くなったり、目の周りが黒ずんできたのは加齢現象だと思っていた。
この知識は薬剤師から得た。
医薬分離政策以降、何かと薬剤師がしゃしゃり出て、めんどうばかり増えて鬱陶しく思っていた。
だから、無愛想にしてきたのだが、心を入れ替え「感じのいい人」を心がけることにした。
すると話がはずむもので、上記の通りの知見を得ることができた。
鏡をみれば、目の周りが黒ずみ、眉やまつ毛が長い四十半ばのじじいがいる。
昼間サンダル履きでうろついているだけで、周囲の人びとに緊張をもたらしてしまう存在になり果てた。そんな自覚は中年男に求められる、一種の公共心というべきだろう。
posted by 雄峰 at 11:24| 落人日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

【160212】「運」に関する本を2冊読んだ。結論からいえば「強運とは、狂人の行動力の賜物」であるということになる。

「運」に関する本を2冊読んだ。結論からいえば「強運とは、狂人の行動力の賜物」であるということになる。
私は幸福度でいえば「まあまあ」であるが「強運」であると自覚している。こういう感覚は主観でいい。
パラノイア気質の私はとても思い込みが強い。だから、よく失敗もするし顰蹙も買うのだが、すべて都合よく解釈するので、ちっとも悔やむことはない(反省や懺悔はするが)。
こういう馬鹿者は恐れを知らないので行動力がある。犬も歩けば棒に当たる。あれこれやっているうちに時々、大当たりをひく。
一度大当たりを引き当てると、人生は大きく地殻変動を起こす。私の場合は3度であるが、それが多くなればなるほど、いわゆる「成功者」というものになるのだろう。
行動力といっても、パワースポットに行ったり、石を腕に巻いたりしても意味がない。目的に直結する行動でなければならないからだ。
ビジネスでも、芸術活動でも、婚活でも、何度も何度も執拗に挑み続ける。その執念深さが「強運」をもたらすのである。
かの織田信長にしても常勝将軍ではなかった。何度も敗退を繰り返しながら、手を替え品を替え挑み続けた執拗さの集積が「勝ち星」を積み上げさせたのである。
それは、常識人にはとうてい実行できないような狂気の行動力といえる。
そうみると、運というものは、成熟しきれない者どもに与えられた魔法であるといえる。
私のようなガキにはそんな魔法でもないかぎり、生き延びてゆけない。天はうまくバランスをとってくださるものだ。
posted by 雄峰 at 11:24| 落人日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

【160211】モタモタしてしたら、包囲網が狭まってきた。

モタモタしてしたら、包囲網が狭まってきた。
生業で大きな案件が発生し、それなりの対応をしなければならなくなった。
私の任務だから否応もないし、久々の活躍の場なので奮い起っている。
こういうとき、機運というものを実感する。
1月15日から出版に向けて動くと宣言しながらろくに動かなかった。
「芸術作品なのだから」と嘯き、日々原稿に淫していたら、ほどなくして体調不良に見舞われた。そして今回の一件である。
「天」が私の動きを監視しているとしか思えない。あのとき行動していれば、風邪もひかなかっただろうし、今回の一件もなかったのではないか。
タイミングを逃したといっていい。人生の機会をだいじに使っていないと、しばしばこういう目に遭うものだ。
「あまりにもスピリチュアル解釈に過ぎる」という誹りもあろう。だが学生時代以来、人生の大半を自営業者として生きていると、運気の存在は肌身で知っている。
だが、こういうときこそ、災い転じて福となす。生業もこれを機にテコ入れできるし、出版についても着実に前進させようという気構えができた。
この機会を、天賦の好機にできるか、失調の始まりにするかは、これからの取り組み方しだいだ。
緊張感を取り戻したおかげで、すっかり体調は回復した。今日からジョギングを再開した。その前に仕事場を掃除した。
posted by 雄峰 at 11:22| 落人日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
×

この広告は180日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。