2013年01月02日

拓殖大学講義 講義録

講座「世界の中の日本U」「聴く」威力―“昭和”を聴けば、世界に語れる
一般社団法人「昭和の記憶」代表 盛池雄峰

「聴く」ことができるようになると、皆さんは三つのメリットを享受できます。三つのメリットとは何か。それは「モテる」、「儲かる」、「進化する」。この三つです。
「聴く」ことができるようになるとモテるようになります。モテるといっても、なにも異性からというだけではありません。就職活動でも、採用面接官からモテないと採用されません。社会に出ても、上司や取引先からモテなければ活躍できません。皆さんにはそんな魅力的な人、つまりモテる人になってもらいたいのです。
 二つ目のメリットは「儲かる」です。「儲かる」人とは希少価値の高い人です。他の人にできないことができる人が世の中では重宝されます。そんなレアな人材になるために「聴く」技術が効果ありです。
 三つ目のメリット、それは「進化する」です。これからの長い人生、壁にぶつかったり、「もうダメだ」と思うことも出てきます。そんな時、「聴く」ことができれば進化できます。進化することで困難を乗り越えることができます。進化しなければ行き詰まる。進化することができれば、人生で怖いものなんてなにもないのです。

  「聴く」人が愛される

 私はいま皆さんの前で話をしています。視線を合わせると嫌がるかなと思ってできるだけ視線をあわせないようにしているんですが、私の話を真剣に聴いてくれている人はここにいてもわかるんです。
 その人たちに対して私は好感を持っています。真剣に聴いてくれていることに感謝しています。その人たちは私からモテているのです。自分の話を真剣に聴いてくれる人に対して、人は誰でも好感を持つはずです。好感とは、相手の話を真剣に聴くことによって芽生える感情なのです。
 一方、話を聴かない人の周辺はもめごとが多いですね。夫婦げんかも、たいていは相手の話を聴かないところから始まります。夫の自慢話を聴かない妻、妻の愚痴を聴かない夫。本人は聴いているつもりでもじっさいは気持ちがどこかに飛んでいて集中していない。これでは相手に失礼です。
 話を聴くには忍耐力が必要です。しっかり鍛錬しておかないと夫婦仲のみならず人間関係は円満にいきません。大人の成熟した人間関係は、相手の話をしっかり聴くという姿勢が土台なのです。
 いま好きな人がいて振り向いてもらいたいと思っている。そんな方はいませんか。だとしたら、相手の話を一生懸命聴いてみてください。その人が一生懸命に取り組んでいることや趣味などについて積極的に聴くのです。質問を交えながら真剣に。気の利いたことを言おうとして、自分でしゃべってしまっては逆効果。ひたすら聴くんです。そうするうちに相手はあなたに対して好感を持つようになりますから。
 ところが最近は、話し上手のほうがモテるとされています。お笑い芸人をはじめしゃべりが上手な人がモテていますから、そういう印象が強いのも無理もありません。
 でも、彼らのレベルまでしゃべりの技術を向上させるのは至難の業。長年修行してようやくあの域に達しているのです。中途半端に彼らのまねをすると、「騒々しいウザいやつ」と言われるのがオチ。モテるどころか嫌われ者になるだけのことです。
 学生時代に、おしゃべりな人気者が社会に出たとたん転落していくのはこのパターンです。切り替えに失敗したんですね。しゃべり上手というリスキーな道を極めようとするより聴き上手になって、誰からも好意を持たれる道を歩むほうが幸せな人生になるはずです。

  質問すれば、採用される

「聴く」人は好かれる――この原理を皆さんの関心事である就職活動に活用してみるとどうなるでしょうか。ここで一つ、面接の必殺技を紹介します。
 就職面接が終えようというとき、面接官はたいてい「何か質問などありますか?」と聞いてくるでしょう。こういう場合、たいていの人は「いえ、特にありません」と言って、礼儀正しくおじぎをして退室してしまいます。
 でも十人に一人くらい、そこで質問する人がいるんです。「御社の営業部で活躍されている方たちは、どのようなタイプの方が多いでしょうか?」、「御社の研修トレーナーになるためには、どんな勉強をしておけばいいでしょうか?」など、意欲あふれる質問をぶつけるんです。
 面接官は唐突な質問に苦笑いするかもしれませんが、あきらかにこういう人への評価を高めます。採用に到るかは保証のかぎりではありませんが、勝率はグンと跳ね上がるはずです。
 ところが、学生の多くは「質問したら失礼」なんて勘違いしているんですね。福利厚生などの待遇についてあれこれ突っついていては印象が悪くなるのは当然ですが、自分の熱意を質問というかたちでぶつけることは、かぎられた時間のなかで自分をアピールする上では重要な手立てです。「聴く」ことで熱意を表現する。これが社会人の情熱というものなのです。

  「聴く」営業マンが売れている

 私は以前、リクルートという会社で就職情報誌の営業職に就いていました。広告を売るのが私の仕事でした。いろいろな営業テクニックを試行錯誤してみた結果、すごく売れる方法を発見したんです。もうおわかりですよね。そうです、「聴く」営業を実践してみたのです。
 事前に営業先の企業のことをしっかり調べておいて、訪問した際、あれこれ質問する。とってつけたような質問ではないですよ。私が本当に聴きたいと思うこと、本当に興味のあることについて熱心に聴く。それは聴くというより、もはやインタビューに近いかもしれません。
 タコ焼き店のフランチャイズ展開している会社に営業に行ったときも、売り物である求人広告の説明はそっちのけで、「タコはいまも壺で捕っているのですか?」から始まり、「社長はどうしてタコ焼きチェーンを始めようと考えたのですか?」、「FC展開している地域が西高東低ですが、今後の展開はどのようなご計画ですか?」、「タコ焼き以外の業態もお考えでしょうか?」――こんなことを熱心に聴きまくる。すると売れるんです。これには驚きました。「これこれの年俸でうちに来ないか」なんてスカウトされることも何度かありました。
 営業マンというとアタッシェケースを持ってバリッとしたスーツを着て、立て板に水のごとくペラペラと自社商品を説明しながら手練手管でお客さんを落とす。そんな嫌なイメージがありますね。でも、それは昔の、それもマスコミがつくったイメージです。いまどきそんな営業マンは門前払いされるだけ。当然、売れませんし儲かりません。
 それどころか、売れている営業マンには風采のあがらない、一見パッとしない感じの人が多いです。でも、その人はコミュニケーション能力がすごい。とくに聴く力が。お客さんの要望や不安をしっかり聴いて理解して、それを誠実に解決していく。そんな人なんです。
 我が家に出入りしている保険の営業マンは保険商品の説明はほとんどしません。子供が生まれたとき、彼は「お子さんの名前の由来は何ですか?」と尋ねてきました。そういう質問をされると、私はいい気分になって命名にまつわる話をする。そんなやりとりを通じて、相手に対する好感が高まり信頼関係につながっていく。こうやって商売というものは成り立っていくんですね。何を買うかではなく、誰から買うか。そういう時代のビジネスの根底に位置づけられるのが「聴く」姿勢なのです。
 皆さんがいままで所属してきた学校という世界は、いい点を取ればそれだけ評価されるというフェアでシンプルな世界です。ところが皆さんがこれから出てゆく社会とは、たとえ満点でも落とされるという理不尽な世界なんです。勉強ができても、「嫌なやつ」と思われたら採用されないし買ってもらえない。学校の成績が悪くても、「君、いいね」と思われたら採用されるし買ってもらえる。そんな世界なんです。
 点数をめぐる戦いも大切ですが、これからは点数だけではない戦いも始まるということを知っておいてください。その戦いのなかで威力を発揮するのが「聴く」姿勢なんです。
 もし、皆さんのなかに「私は営業職には就かないから関係ない」なんて思っている人がいたら、その考えはこの機会にあらためましょう。どんな職種であれ何らかのかたちで営業的な側面を持っています。経理であろうとデザイナーであろうと公務員や教師であろうと、すべて営業的側面、つまりお客さんの存在を意識することなしには成り立ちません。
 営業的センスとは、ともすれば利害が対立しかねない両者間の関係を円滑にする技術。「聴く」ことで両者の関係を良好に継続的なものにしていけるのです。

  進化すれば、行き詰まらない

 皆さんくらいの年ごろは、きのうまで自信満々だったかと思えば、きょうはすっかり自信喪失してしょげている。そんな多感な時期だと思います。「俺の考え方は一生変わらないよ」と強がったり、「私はこういう人だから」と自己規定している人も少なくないでしょう。いまはそれでもかまいません。でも、十年後もいまと同じ「変わらない俺」だったら、ひじょうにまずいですね。
 人は進化していくことで輝き続けられます。二十歳のころの意識のまま歳だけとったら悲劇です。進化を積極的に受け入れていく覚悟、これを持っていただきたいんです。
 正直に言えば、私がいまこうやって話していることは、二十数年前、学生時代の私がまったくそう思わなかったことばかりです。この間さまざまな人から話を聴いたり本を読んだり失敗して反省しながら、自分をどんどん進化させていった結果、行き着いた考えなんです。
 いま私は「聴く」ことをテーマとした話をしていますが、私ほど人の話を聴かなかった者もいないでしょう。とにかくまったく聴かなかった。親や先生はいうにおよばず、親友の助言にも耳をかさなかった。だから、たくさん失敗しました。そういう愚かな人生を送ってきたからこそ、「聴く」ことの大切さを強く確信するようになったのです。
 進化というものを理解する上では、いま第一線で活躍する人たちをよく観察してみるといいですね。有名なところでは、イチロー選手や北野武さん。こういう人たちはそのときの自分に埋没せず、ひたすら進化し続けています。
 私は経営者や作家とおつきあいさせていただくことが多いのですが、こういう方たちも自分を進化させるために日夜努力されています。進化しなければ滅んでしまいますから切実なものです。
 自分を変えるというのは誰でも嫌なものです。でも進化を拒否して、いまの自分にしがみついていれば、遅かれ早かれ壁にぶつかります。幸せに生きていくためには、変化を受け入れて進化し続けるほかないのです。

  「聞こえる」から「聴く」へ

 耳は目のように閉じることができませんから、音は勝手に耳に入ってきます。これが「聞こえる」という状態。「リッスン」と置き換えるとわかりやすいかもしれません。
 一方、「聴く」は意識的に音をキャッチして汲み取っていこうという積極的な動作です。英語でいえば「ヒア」ですね。私が「聞」ではなく、「聴」という字を使うのも、その区別をつけたいがためです。
 いまここで起こっていることに即して説明すればもっとわかりやすいかもしれません。「聞こえる」は、机に突っ伏しながら「つまんねえな」と思いながらも、私の声がスピーカーを通して耳に入ってくる。こんな状態。
 一方、「聴く」は「この人、なんか面白いこと言っているぞ。役に立つかもしれないな」と思い、一言一句聴き逃さないぞと脳をフル回転させている。こんな状態です。
「聴く」ことは集中力を必要とするとても疲れる作業です。でも社会に出たら、日々そんな真剣勝負に向き合っていかなければなりません。場に集中できずに散漫な態度でいたら早々に戦力外です。集中力は練習すれば向上します。「聴く」ことで、一生ものの集中力を鍛えましょう。

  「聴く」ことは「従う」ことではない

「聴くことは大切だ」。こんな話を聴いていると、こんな疑問を持つのではないでしょうか。「人の言うことばかり聴いていたら、自分というものがなくなる。主体性がなくなるのではないか」。
 そういう心配は無用です。聴くことで主体性が失われることはありません。「聴く」ことは「従う」ことではないのです。
 これまで人の話を聴くというシーンといえば、親、先生、友達、先輩やバイト先の上長、そういう人たちから指示や小言を言われる。そして、それに従わざるをえない雰囲気に追い込まれる。こんな感じでしょう。
 へたに話なんか聴いてしまったら、それに従わなければならない。それなら最初から聴く耳を持たないほうがましだと。私も皆さんくらいのときはそう思っていました。でも、それは誤解であったと後になってわかりました。聴いたからといって従う必要はなかったのです。
 親からA案、友達からB案が出された。自分はいまのところC案がいいと思っている。この三案のうち、どれにするかは自分で決めればいいんです。A案やB案よりC案がいいと思えば、それを採用すればいい。決めるのは自分なんです。こう考えれば気楽でしょう。いろんな意見に耳を傾けても自分の主体性は失われません。
 ただし、どの案を採用するかはセンスが問われます。進化してセンスを磨いておかないと、しょぼい案を採用してしまいますからね。
 センスといえばもう一つ。聴く相手を選ぶことは大事です。世の中には、「ああしなさい、こうしなさい」と言ってくるお節介な人がいます。この手のいわゆる「かまってちゃん」は寂しがりやなので、あなたからの愛情を求めて接してきます。こういう人にかまっていると、あとさき面倒なことになりますので、絡まれたらさらりと受け流して上手に逃げるのが得策です。受け流しの技術と「誰に聴くか」という眼力。こういう側面も磨いていくことで人生はよりスムーズになります。

  誰でも自分を語りたがっている

「話を聴くと相手は喜ぶ」と言うと、「え? 相手にいろいろ聴いたりしたら、不機嫌になってしまうのではないの?」と心配する人がいます。でも、その心配は無用です。逆の立場で考えてみてください。あなたが大切にしていること、たとえば趣味や熱中していることについて尋ねられたらうれしくなりませんか。
 鉄道好きの私は「どの路線がお奨めですか?」、「寝台列車って、どんな感じなんですか?」なんて尋ねられたら、うれしくて一生懸命になってお答えします。人は誰でも自分の好きなことについては知ってもらいたい、しゃべりたいという欲求を持っているのです。よっぽど気難しい人でないかぎり自分に対する真剣な関心に応えようとしてくれます。
 でも、目上の偉い人たちを前にしたら、どんな質問すればいいかわからない。そんなことはありますね。こういうときは将来について尋ねるのが無難です。「○○さんの会社は、五年後どんな感じになっていますか?」、あるいは「○○さんは、十年後はどうしていらっしゃると思いますか?」など。
 成功している人たちは明確なビジョンを持っていますから、五年後、十年後の展望を尋ねられたら、身を乗り出して目をキラキラさせながら熱く語り始めるはずです。あなたのことを見どころがある若者だと評価してくれることでしょう。
 聴くことで相手のふところに飛び込むことができます。若い皆さんにはとくに有効です。上手に世間を渡っていく人は、そうやって人生を切り拓いているんです。
 もっとも最近は個人情報保護とかプライバシー尊重とか言われ出して、相手にいろいろ尋ねることは良くないことだという風潮が強まってきたのは残念なことです。
 いきなり電話番号や父親の職業を尋ねたりすれば、当然、相手は引いてしまいます。だからといって、相手という人間を知ろうというコミュニケーションと個人情報の詮索をごっちゃにしてはなりません。「個人情報」という亡霊に怯えていてはせっかくの仲良くなれるチャンスを失ってしまいます。勇気をもって少し踏み込んでみましょう。

  「話し上手」は割に合わない

 話し上手が人気者です。お笑い芸人やテレビのコメンテーターなど、気の利いたことがさらっと言えて笑いもとれる。そんなしゃべりのうまい、弁が立つ人がもてはやされています。
 でも、話し上手になるのはとても難しいんです。私もラジオのパーソナリティを十五年近くやっていて、話すことは仕事の一つになっています。そういう立場から言わせていただくと、話し上手になろうという努力は割に合わない。そう断言します。
 話し上手になるには、広範な知識や専門性、さらにはそれを聴かせるだけの表現力が必要です。話し上手に向けたトレーニングはかけた労力のわりには報われません。教師あるいは経営者や政治家といった仕事に就いている人なら別ですが、ふつうの仕事では話力はそれほど要求されません。
 テレビドラマでプレゼンシーンを見て「就職したら、あんなことができなくちゃいけないんだな」と思うかもしれませんが、ふつうに働いていてあんな感じのプレゼンをやる機会なんてほとんどありません。仕事において大事なことは人前で話すことよりしっかり相手の話を聴くことなんです。
 大学などの教育現場はある意味特殊な世界です。ここでは意見を述べたり議論を戦わせたりすることが認められています。認められているというより推奨されています。しかし、仕事の現場では、自由に意見を述べたり議論を戦わせたりすることはけっして推奨されることではないのです。
 また、中途半端に弁が立つと、議論好きのトラブルメーカーになったり、屁理屈をこねて言い訳ばかりするダメ人間になってしまいかねません。口達者というのはじつは長所ではなく短所になりやすいのです。
 話し上手になるには、長年の鍛錬が必要ですし素質も大きく影響します。いまから練習したところで、どれだけ上達するかわかりません。くりかえしになりますが、話し上手になるための努力は割に合わないのです。
 話し上手よりも聴き上手。話し上手になって周囲を唸らせるより、聴き上手になって周囲から好かれたほうが実社会では重宝がられます。まずは聴き上手になる。その上で余裕があれば話し上手を目指してみる。そのくらいがいいのではないでしょうか。

 「聴く」人は、希少価値が高い

 世の中は、珍しいものに対してお金を払います。レアものに対して高い値札が付くのはなにもアイテムだけにかぎりません。人材に対しても同じです。珍しい技術や知識を持つ人が重宝がられ高値がつく。希少価値が高い人が厚遇されるのは、古今東西変わりません。
 二百年前の日本には、英語を話すことができる人はほとんどいませんでした。ところが最近は、英語が話せる人はごまんといます。そのぶん、英会話のできる人の希少価値はなくなってしまったということになります。
 いまから四十年くらい前まで、報酬がよくて人気のある職業の一つにタイピストがありました。タイピスト、わかりますか。タイプライターでタイピングする人です。当時はタイプライターを打てる人があまりいなかったので、タイプできる人は希少価値が高く稼ぎのいい人気の職業だったんです。できる人が少ないことができれば世の中から重宝される。これはいつの時代も同じです。だから皆さんも「珍しい人」になればいいんです。
 そういう点で、いま「聴く」ことができる人は希少価値があります。なぜなら、「聴く」ことができる人がとても少ないからです。「聞こえている」人ばかりで、「聴く」ことができる人はほとんどいないですから。
 話上手な営業マンはたくさんいますが、しっかり「聴く」ことができる営業マンとなるとごく少数。だから希少価値が出てくる。話し上手な教師はたくさんいますが、しっかり「聴く」こともできる教師となると少ない。だから、聴ける教師は希少価値がある。こんな感じです。皆さんの人生に「聴く」という特技を絡めるだけで希少価値がグンと高まるのです。
 希少価値という点でもう一つ。皆さんは、昔の男の人は無口だと聞いたことがありますよね。昔は無口で口下手な男ばかりでしたから、弁が立つ人は希少価値がありました。たとえば政治家や弁護士。弁護士なんて「代言人」と言われていたくらいですからね。しゃべりが苦手な人ばかりの時代においては、しゃべりがうまい人は希少価値があったんです。
 ところがいまは、話すことばかりが重視されていて、「聴く」ことはあまり注目されていない。こういうときこそチャンスです。あえて裏をかいて、「聴く」技術で勝負するのです。そんな「逆張り戦略」がいまだからこそ有効なんです。

  意見を言うより、質問しよう

 しゃべっているうちに、途中で「あれ? 俺、何を言っているんだっけ?」と尻切れトンボになってしまうことはありませんか。私が皆さんくらいのころは、よくそんなことがありました。けっこう気まずいものですね。友達同士のおしゃべりならともかく、社会に出てからそんなことをやっていては自分の評価をグイグイ下げてしまいます。
 無理して話そうとするから行き詰まるんです。無理して意見を述べようとするからまとまらないのです。意見を述べるとはとても難しい作業です。いま私はこうして意見を述べていますが、事前にレジュメを作っておいて、それを見ながらようやく話し続けることができるんです。それなりに経験があってもこんなものなのです。
 こう言っては失礼ですが、皆さんはまだ知識の蓄積も足りませんし、論理的に表現する技術も未熟です。意見を述べるには時期尚早なのです。じょじょにそうした技術を磨いていけば、いずれしっかりと意見を述べられるようになりますが、それまでは安易に自己主張するより、しっかり相手の話を聴いて的確な質問を重ねていく。そんな「聴く」トレーニングを積んでおくことです。
 昔は、意見を持つことは一部の人だけの“特権”とされていました。私の祖母などは「難しいことは頭のいい人が考えればいいだあよ」なんてよく言っていましたが、これが庶民の感覚だったのです。
 ところがいまは、誰もが「意見」を持つようになりました。ところが、その多くは意見とは名ばかりのわがまま、屁理屈、言い訳、そして自己アピールです。自分に都合のいいことばかりベラベラしゃべっているだけ。これが「意見」というものの実態なんです。こんなものを「意見」とみなしていると、ケンカに明けくれ、他人に幻滅し、社会からつまはじきにされるという悲惨な人生を送ることになります。
 皆さんは社会に出て二、三年経っても、まだ二十五歳ぐらいです。まだまだペーペーもいいところです。そういう人が職場で平然と持論を述べたら即嫌われます。「学生気分が抜けない」とはこういうことをいうのです。
 意見より質問。頭に浮かんだ瞬間口に出さずに、いったん自分のなかに収める。つい意見を言いそうになったらグッと我慢して質問に転換する。相手の話に集中し、的確な質問を投げかけながら会話を盛り上げていく。そんなことができる人はほとんどいません。
 最初はフラストレーションがたまるでしょうし難しくも感じるでしょうがだんだん上達し慣れてきます。こうしているうちに人間としての奥行きが出てくる。社会で重用される人とはこういう人なんです。
 そうそう、当然、大学は別ですよ。ここは、考えを練り上げて意見を述べるという鍛錬の場ですからね。学生ならではの特殊な空間。このことをよく認識した上で授業に臨んでくださいね。

  メモ帳とペンを持ち歩こう

 きょうの帰りにメモ帳とペンを買ってください。大学の購買部でも近くの文房具屋にでも立ち寄って。そして今後は、その二つをつねにポケットやバッグに入れて持ち歩いてください。
 携帯でメモする人もいますが、それだと気分が出ません。携帯をいじっているのと変わらない。日常の延長線上です。メモ帳を開いてペンを持つとふだんとは違う特別な感覚になれます。それが大事なんです。
 ペンで文字を書くというのはなかなか面倒くさいものです。携帯でメールを打つのの何倍も面倒くさいかもしれません。でも、そういう面倒な行為を日常になかに盛り込んでみると、どういうわけか人生が好転し始める。そんなことってよくあります。まずは型から入ってみる。型を変えると心構えも変わってきますからね。
 では、メモ帳とペンをどう使うのかについて。今後、面接や大切な面談など、気合いを入れて人と会う前に質問を三つ用意しておきましょう。聴くべきトピックを三つ考えて、メモ帳に書きとめておくのです。
 たとえば、この講義の終了後、私と面談する予定が入っているとしましょう。その場に向けて三つ質問を用意しておいて欲しいのです。「聴き上手になると、相手の意見に合わせてしまう人間になってしまいませんか?」、「盛池さんは聴くことをしないで失敗したとおっしゃっていましたが、具体的にどんな失敗をされたのですか?」。こんな質問をされたら燃えますね。真剣に答えようと必死になりますよ。
 重要なことは用意するだけでもいいということ。せっかく用意したのにもったいないからと無理やり質問してしまうと、会話のリズムを乱してしまうことがよくありますから。
 質問にしても、結果的に三つ思いつかなくてもいいんです。でも、三つ考えようという縛りが頭脳を鍛えてくれますから、時間ぎりぎりまで粘ってみてください。
 しっかり準備して臨むという姿勢が肝腎なんです。それをよくプロ意識といったりします。その意気込みは確実に相手に伝わります。それが重要なのです。こういうトレーニングを積むうちに、人と会うことが苦痛でなくなります。苦手意識もなくなっていきます。人生怖いものなしです。
 さて面会時。メモ帳を開き手にはペン。これが基本形です。話を聴きながら大切なことをメモしていくのですが、同時に後で質問しようと思ったことをメモしておくといいですね。
 頭が浮かんだことは即座にメモ帳に書き留めておかないと、あっという間に消え去ってしまいます。ちなみに、私はクルマを運転しているときやジョギングしているとき、つまりメモできない状況下にあるときにはボイスレコーダーに吹き込んでいます。そうでもしないと、いいアイディアにあっという間に逃げてしまいますからね。
 メモするのを面倒がり、頭に浮かんだ瞬間、口に出すなんてのは最悪です。相手の話の腰を折って一気にしらけた空気が充満します。自分の発言はメモしておいて、後でタイミングをみて切り出すことです。
 もう一つ、相手の心を鷲づかみにする方法を紹介します。それは、相手の言葉で何か刺さったものがあったら、「いまの話、メモしてもいいですか」とメモ帳を取り出してメモする。こんなことされたら、私はメロメロになってしまいますね。もっともこのテクニックはやや芝居がかっているので、誰にでもお奨めするわけではありませんが。
 ここで認識していただきたいのは、相手の話をメモすることでリスペクトの気持ちを表現することができるということ。要は「聴く」態度を全開にすることが熱意につながるということです。
 しゃべりなんか下手でいいんです。口下手でいいんです。しっかり準備し、面会の場ではペンを持ちメモ帳を開いて真剣に相手に向き合う。これが一期一会に対する誠実さなんです。こういう態度が社会に出てからの活躍を後押しするんです。
 聴き上手を大絶賛してきましたが、ここで一つ、聴き上手のデメリットも紹介しておきましょう。聴き上手が陥りやすい悪しきパターン、それは迎合体質。「営業マン病」と言い換えてもいいかもしれません。
 聴き上手になって相手にあわせることが上手になると、いつでも誰に対しても「聴き上手モード」をとってしまうことがあります。私も長年インタビュアーをやってきたせいか、つい相手にあわせて会話を組み立ててしまうんです。習い性というやつですね。
 たとえば料理屋で食事をしていても、私は板前さんにお酒や料理についての絶妙な質問をして会話を盛り上げてしまうんです。板前さんは私を気に入ってくれてあれこれサービスしてくれるのですが、店を出たときドッと疲れを感じることがあるんです。つい聴き上手モードになってしまい、相手にあわせすぎて疲れてしまう。これは聴き上手の人が陥ってしまう悪いパターンといえますね。
 でも、そんなことはかなりの聴き上手になってから心配すればいいことです。当分は、聴き上手修行に励みましょう。

  「聴く」ことで癒される

 私の「聴く」体験は祖母がきっかけです。祖母は一九一〇年の生まれですから、いま生きていれば百二歳。十二年前に亡くなりましたが、私の人生においてとても重要な人でした。おおげさに聞こえるかもしれませんが、私がまがりなりにもいままで生きてこられたのは祖母のおかげです。
 祖母は昔ながらの価値観や道徳観を持ったごくふつうの庶民です。「負けるが勝ち」、「急がば回れ」。そんな慣用表現ばかり口にする昔のよきお婆さんです。
 一方、両親は教育熱心でけっこうきついタイプでした。学校の成績や受験が私に対する関心の最たるものでした。子供心に愛されているという実感を得られず、たびたび人格否定的な言葉も投げつけられましたのでしょっちゅう衝突していました。そんなときに逃げ込んだのが祖母の元でした。
 祖母との他愛もない語らいは私の傷ついた心を癒してくれました。私には妹が三人いますが、彼女らもよく駆け込んでいましたね。祖母は私たちの心のシェルターだったんです。
 高校生だった私はよく日本史の教科書を開いては、祖母にいろいろと問いかけました。「犬養毅って覚えてる?」と尋ねると「そんな人もいたあなあ」。「二・二六事件って知ってる?」には「そういうこともあったなあ」。記憶はあいまいで拍子抜けする回答ばかりでしたが心はなごみました。
 ただし、関東大震災だけは強烈な体験だったようです。「あのときは怖かったあよ。河原は死んだ人でいっぱいになっていたあな……」。まさに渦中ともいうべき川崎で被災したのです。当時、祖母は十四歳、川崎の親類宅に寄宿して女学校に通っていました。
 歴史上の事件が生々しく再現されていく快感を味わったのはそのときが初めてでした。それ以来、茶飲み話に来た祖母の友達や全国各地を旅したとき出会ったお年寄りから話を聴いては記録するようになりました。
 北海道根室にお住まいのおじいさんからはシベリア抑留のときのすさまじい秘話を聴きました。いまここで話すと外交問題になりかねないような内容ですから、興味のある方は、オフレコのとき直接私から聴いてくださいね。
 奄美の島でのこと。駄菓子屋のおばあさんから話を聴いていたら、道をはさんで向かい側に住んでいるお婆さんが牛乳を買いに来たんです。すこし立ち話して帰っていったんですが、その買い物に来たお婆さんが先妻、つまり駄菓子屋のお婆さんの前の奥さんだったということが判明。これには驚きましたね。こんな話をあちこちで聴いてまわる。これが私の趣味でありライフワークでもある聴き書きというものなのです。

 モテモテの日本を世界に語ろう

 皆さんは、東日本大震災にどこで遭遇しましたか。そのとき私は八王子の自宅で仕事をしていました。ただならぬ揺れを感じて、あわてて妊娠中の家内をテーブルの下に避難させました。我が家の被害はさほどではありませんでしたが、その後の原発事故を受けて、家内を実家に疎開させたりして慌ただしい日々を送りました。
 このなかには親族や友人が犠牲になったり被災されたという方もいるかもしれません。あの日の出来事は私たちの人生に深く刻みこまれたことはたしかでしょう。
 いまから二十年、三十年後、きっと皆さんは、子供たちから「お父さん、東日本大震災のときどうだったの?」と聞かれることでしょう。そのとき皆さんは自分が歴史の証言者になっていることに気づくはずです。いま皆さんが体験していることは将来皆さんが語っていくことなのです。
 そのために、いまから「歴史」に耳を澄ませておきたいものです。先人たちの記憶に耳を傾けると同時に、いま起こっていることをしっかり心に刻んでおく。記録しておく。歴史という時間の流れを意識して生きていけば、いずれ私たちが語る言葉も磨かれていくはずですから。
 また、我が国の歴史に向き合うということは、世界の人たちに向き合うことにも直結します。
 日本はいま世界から叩かれている。日本人は嫌われている。そんなイメージを持っている人は少なくないでしょう。でも、それはマスコミが伝える誤ったイメージです。日本人は世界的にみてもトップクラスのモテモテ民族なのです。信頼され敬愛されているのです。そのモテモテの理由は、昭和時代の日本人のがんばりにあると私は見ています。
 昭和というと、私たち日本人は太平洋戦争を連想しがちですが、世界の人々からすれば、太平洋戦争よりも戦後の奇跡の復興や日本ブランドが世界に与えたインパクトのほうが圧倒的に大きいようです。先端技術、国連支援をはじめとした国際貢献からアニメまで、日本は世界の人々から敬意と敬愛のまなざしを受けているのです。
 私の妹の旦那さんはポーランド人なのですが、彼は日本の「すごさ」に対して強いリスペクトを持っています。日本に来たとき、私を相手にいろんな質問をぶつけてきました。言葉の壁はありますが、その熱意に対して私は日本人代表として真剣に向き合いました。
 こういうとき気づかさせられるのが、彼ら外国人の日本に対するリスペクトの照準が「昭和」に合わせられているということです。
 戦後の繁栄を築いたのは戦前生まれの日本人です。彼らが戦争で負けて焦土と化した祖国を建て直そうと必死になってがんばった。戦後の豊かさと平和は彼らの努力のたまものなのです。
 教科書に載っているような人たちだけではありません。私の祖母や皆さんの祖父母、曾祖父母といった方々のがんばりのおかげでいまの私たちのくらしがあるのです。日本の繁栄をもたらした人たちの人生を知っておく。これが彼らに対する恩返しであり、世界の人たちに対する責任なのです。
 語る言葉はインプットしてきた言葉によって紡がれます。聴いて蓄積してきた言葉が熟成して、重厚で洗練されたアウトプットに昇華してゆきます。そのためには、まずは耳を傾けること。
 もうすぐ年末です。帰省した際はぜひ、おじいさんやおばあさん、あるいは近所のお年寄りたちから昔語りを聴いてみてください。
 こうした人たちの言葉は日に日に失われていきます。お亡くなりになってからではもう手遅れです。
 昔の人は自分のことを語るのははしたないことと思っている人がけっこういます。最初は語ることをためらうかもしれませんが、本当は語りたいという気持ちを持っておられます。勇気を出して切り出せば堰を切ったようにお話しになるはずです。
 そこで皆さんが体験したことは、今後の人生にとって得難いものになるはずです。「聴く」ことができれば、人生で怖いものなんて何もない。そんな確信を得ることでしょう。ぜひ、チャレンジしてみてください。

(了)
posted by 雄峰 at 16:14| 収録用メモ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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